文学の力

東京で、日曜月曜と、朝鮮大学校のピョン先生の懇談の場に同席させてもらっていたんだけど、話題が何であっても、先生の、同胞を守りたいという思いの強さには、いつも心打たれる。
学校について組織について祖国について日本について歴史について、日本のなかに日本人として存在していてはきっと気づかないまま、見えないままでいるものに気づかされる。それは同時に、不信の壁が崩されてゆくことでもあるみたい。

ある国を自由のない独善的な国と思うとき、自分たちの国はそうではない、と思いこんでしまう無意識には要注意かもしれない。そう思っている私たちのほうこそ、とても独善的なものの見方をしているかもしれない。

日本もまた、毎年3万人以上の国民が自殺している不幸な国ではあるし、アジア各国から、信義のない国と軽蔑されてはいるのだし、この国の戦後民主主義グローバリズムも、ひとつの檻のようではあって、私たちは、せいぜいが、檻のなかのもの思う猿である。

ピョン先生の話には、この国を相対化させる視点がたくさんあって、それはもうそれだけで、檻の鉄格子の一本二本はずされたぐらいには、風通しがよくなる。鉄格子は、外にではなく、私のなかにあるのだ。
それはたやすく自分でひきぬけないが、ひきぬくことのできる、文化の力とか人間の力というのはたしかにあるなと、思った。

ピョン先生の話は、政治の話も文学の話も、人間の問題としてあって、すごく生き生きとしている。
月曜は、文芸ジャーナリストの酒井さんが一緒だった。ピョン先生の、石川啄木中野重治小熊秀雄丸山薫の話が興味深かった。それから在日朝鮮人作家、詩人たちについてあれこれと。
私は酒井さんと、金鶴泳の「凍える口」の話ができたのが、妙にうれしかった。あの小説、大好きだった。
ピョン先生も酒井さんも、笑顔が素晴らしくて、文学っていいなと、とってもひさしぶりに思った。
ほんとに、とってもひさしぶりに。
人柄の悪い人が文学の話をするのを聞くほど、いやなことはないけど、その真逆で、うれしかった。

で、そんなこんなの出会いも、河津さんが東柱について書いた一編の詩からはじまったのだ。
いろいろと不思議ではある。