ふだんは忘れている。
向こうにしたってそのはずで、10年もそれ以上も消息を知らせて来なかった。私が結婚したり子どもが生まれたことだって知らなかったのだ。それが年に何度か(何度か、程度ではある)電話をしてくるようになったってことは、よほどなんだろう。
もう帰らん、ひとりでやってく、と、そんなの無理なのに、喧嘩ついでにタンカきってからは、家のほうには帰ってない。帰れないと自分でもわかるような口のききかたをしたんだな。
どうやらそれ以来、心細くなると、こちらにかけてくる。知るか。

入院していたら、そんなこと誰にも知らせてないのに、突然、見舞いの襲撃を受けた知人のおばさんが、電話をくれた。退院したって。
病院にやってきた弟、片方は全然、もう片方はかろうじて、ぐらいしか耳が聞こえない。前に会ったときは、補聴器していたが、今度はしてなかった。そいで、声が大きい。病院で会話するのに、おばさん困ったらしい。談話室に行って話したけど、声小さくして、声小さくしてって。

ああ、あの大声には、まだ小さかった私の子どもがおびえたなあと、思い出す。甥っ子にこわがられて、弟はかなしそうだった。まだ子どもの耳の過敏が判明する前で、それが声のせいだとはそのときはわからなかった。

腰痛で、と私には言っていたが、どうやら耳が聞こえないせいで職場でいじめられたらしい、それでやめたか、やめさせられたかしたんだな、これからテキ屋をやってる高知の友だちのところに行くって言っていたらしい。
車に乗ってる。ジープのような車。前の職場の親方が死んだときに譲り受けたのらしく、それなら、金がなくても車のなかで寝れないことはないか。

しばらく住所不定のもよう。

ふだんは忘れている。
帰省して温泉にいったら、看板がある。刺青のある方の入場はかたくお断りします。それで思い出す。弟は、かたくお断りされるだろう。たぶんどこの風呂屋でも。ついでに、彼は小指がない、ということも思い出す。
こういうふうに差別されるんだ、と思う。でもこの差別は、当然だと多くの人が思うだろう。弟が刺青したのは、まだ二十歳になるかならないかの頃だと思うけど、あの中途半端な筋彫りだけのまぬけな竜は、一生たたる。

しばらく前に、サッカーのワールドカップ見てたら、どこの国だったっけ、オーストラリアだっけ、選手の体に刺青があって、私は試合より、肩から腕に伸びたその刺青をずっと見ていた。隠さなくていいんだ。それどころか、世界じゅうに見られてもいいんだ。
弟はいまでも、夏でも長袖、さもなきゃ包帯巻いてると思うけど、あの刺青と、この刺青と、どう違うのか。

言うに言われぬ生きにくさの淵。