「ロンゲラップの海」

石川逸子さんの詩集「ロンゲラップの海」

ロンゲラップ、という言葉を見たとき、心臓がざりっとした。

1954年、アメリカはビキニ環礁で水爆実験をおこなった。第五福竜丸被爆した、あの水爆実験で、ロンゲラップ島の人々も被爆した。島も、残留放射能によって死の島と化した。なのにアメリカは安全宣言を出し、島人たちはそこで暮らしつづけたのだ。被爆によって、残留放射能によって、3世代にわたって苦しみ抜いたあげく、1985年、島の人たちは、島を捨てる決心をした。ゆたかなロンゲラップを去って、椰子の木もない無人島へ。

舟に乗って島を出てゆく人々の姿を、思い出した。昔その写真を見た。本棚の埃のなかにまだあった。豊崎博光さんの写真集「グッドバイ ロンゲラップ!」。大学の生協で買ったのだ、たしか。

それから、また思い出して探した。ベン・シャーンの画集には、ラッキードラゴンシリーズがおさめられていた。第五福竜丸と亡くなった久保山愛吉さんの絵。

忘れかけていたのに、自分が忘れかけていたということを思い出して、心臓がざりっとした。もしかしたら、このざりっとした感じを忘れたくて、人は、忘れてはいけない不幸を、忘れるのだろうか。

第五福竜丸の乗組員と、ロンゲラップの村長との、ずっとのちになってからの交流のことは、この詩ではじめて知った。

これは、どうしても書かれなければならないことだ、と思った。たとえば古代に、ギリシャ悲劇が書かれたように、前世紀からのヒバクの悲劇も、必ず書かれなければならないことだ。書かれなければならないことだけれど。
ヒロシマ、ナギサキ、からはじまって、ロンゲラップ、セミパラチンスク、チェルノブィリウラン採掘に従事させられた先住民族たち、コソボイラクとつづく、果てしなさに、めまいがしそうになる。

それらひとつひとつの土地に、ひとつひとつの悲劇に、ひとりひとりの悲しみに、寄り添う詩が、生まれてこなければいけないはず。世界のあらゆる土地から。
「ロンゲラップの海」のように。

そう思えば、なんて果てしない詩人の仕事。
なんて待ち望まれている詩人の仕事。

そしてこれは、千年も二千年も覚えていなければならない人間の物語だ。

☆☆

「ロンゲラップの海」

(略)
海の青さ 波の白さは
変わらぬまま
二度と住めなくなってしまった 島
ロンゲラップ

波の音に混じって
囲い込み漁の どよめき が
祭の日の さざめき が
老人だけには 聞こえているのだろうか

それとも
水爆ブラボー爆発少しまえに 不意にあらわれ
「お前たちの命は小指の先ほどのものだ」
と笑った 米兵の声が 耳元で鳴っているのか

火ぶくれし 嘔吐して 呻く 島民たちに
連行先の島で
「海水をかけて洗え」とだけ言った
米兵の声も 耳元で鳴っているのか

ビキニから百八十キロ離れた
ロンゲラップに
さらさら 雪のように降りつづけた
白い粉
死の粉ともしらず その粉を競って集め
無心に あそんでいた 子どもたち
(以下略)