一切れのパン

ふと思い出して、

それが何の本かわかんないんだけど、昔国語の教科書にのっていた戦争の話。ある男がハンカチにくるんだひときれのパンを渡される。そのパンを握りしめて戦火のなかを生きのびた。ハンカチにくるんであったのは、実は木切れだったんだけど、たぶんそういうものを握りしめて、私たちは生きていると思う。

と書いたあと、気になってさがしてみた。見つけた。「一切れのパン」の話。

お時間のある方どうぞ。
「一切れのパン」
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sakura/4493/hitokire.html

ルーマニアの話だったのか、ユダヤ人のラビにもらったパンだったのか。

光村図書の中学2年の教科書だったらしい。でも中学2年の頃、そのあたりの背景をどれだけ理解していたかはあやしい。授業ではやらなかったと思う。ただ勝手に読んだ。

それでまた思い出したのだ。私も一切れのパンをもっていた。

教科書でその話を読んで、給食のコッペパンを適当な大きさにちぎったのを、白いハンカチにくるんで、私それを、ずっとお守りみたいにもっていた。
木切れじゃなくて、パンだったんだけど、そのうち、木切れみたいにかちんかちんに固くなってたけど。

何年ももっていた。一度も開くことなく。鞄のなかとか、引き出しのなかとかに入れていた。これがあるから、私は大丈夫なんだと、根拠もなく言い聞かせてたわ。

私は不登校にはならなかったし、問題のないおとなしい生徒だったし、でもそれなりに、学校に通うのは、なかなか大変なことだったのかな。

もってたよ。一切れのパン。

思い出すのは、たとえば太宰治の「女生徒」っていう小説のなかで、主人公が、下着に刺繍をして、でもだれもそれを知らない、知らないけど、その刺繍のことを考えて、私は今日はうれしい、みたいな場面があったっけ。
それに似てるかな、だれも知らないけど、私は一切れのパンをもっていて、だから生きのびられる、って思っていた。

ピロリ菌の除菌は終わったんだけど、小さい頃、汚れた水を飲んだとか、そういうことでなるらしい、と何かで見て、思い出したんだけど、
私、土の道の水たまりの水を飲んだことあるなあ。

小学校の低学年のとき。犬が飲んでいるのを見て、自分もやってみたくなった。
人間は水道代払って水道の水を飲まなきゃいけないけど、犬はこれですむんだ。水たまりの水が飲めたら、戦争になったり、家が壊れたりしたときも、私は大丈夫だ、と思ったんだ。

で、飲んでみた。土くさくて飲めたもんじゃなくて、ひとくち飲んで、涙しながら、水たまりから逃げた。

ああ。生きるために必要なのは、一切れのパンと一口の水です。