「KY」とか「貧乏」とか

学校から帰ってきた子ども、泣きそうな顔して怒っている。
五時間目の音楽の時間に、近所の同級生のSが(またしてもSだ)、
子どものことを「KY」で、「たいそう貧乏」で、「父さんがハゲ」って言ったのらしい。帰りの道では、S姉3年生にも、同級生のMちゃんにも「KY」って言われるのらしい。それで走って行こうとしたら「走るな」って通せんぼされるらしい。
やれやれまたか。

あたっとるけどね。「KY」も「たいそう貧乏」(出典は教科書のかさこじぞうだな)も「ハゲ」も。

「ぼくの父さんに対して、ひどい。失礼だ」と子どもは怒っている。言われたときにその場でそう言い返せれば立派だが、無理だろうな。

通学班が一緒で、登下校のときもいやな思いをさせられるのに、あろうことか席替えのくじ引きで、Mと隣同士、Sとも同じ班になって「もう最悪」なのらしい。

SとMは、こないだ反省して関係改善したはずだが、Sあたりはすぐにいい気になるんだな。

さて、どうしましょうか。連絡帳に書きますか。
「書いて」というので、書く。
帰りに、先生が、「我慢しなくていいんだよ」と声をかけてくれたらしいので、見てくれているのだろう、と思うけど。

さて、KYは何かわかる?
「空気読めない」
それで、きみはクラスのみんなを賢くて、立派だと思う? それともふざけてておろかだと思う? どっち?
「半分以上はふざけてて、ばかなことばっかりしてる」
ママの考えでは、賢くて立派な人は、人のことをKYだなんて言ってばかにしない。そうじゃない連中が、空気が読めない、とか言う。
じゃあ、そいつらが言う「空気が読める」って言うのはどういうことか。ばかな連中の空気を読んで、その仲間になるってことだよ。そうなりたい?
「いや、なりたくない」
だろ? だったらKYのほうがしあわせなんだよ。ばかな連中の仲間にならずにすむから。
「ああそうか。Sくんは空気が読めるから、悪いことする子たちの真似して、どんどん自分も悪くなっていったんだ。今はもう、先生に立ちなさいって叱られても、いやだ、とか言って立たないんだ。」
なるほど。

「貧乏」はあたってるよ。でも、うちは貧乏だけど、楽しいだろ。だからいいんだよ。これから、たくさんの人が貧乏になる時代になるよ。そのときに、貧乏を知らない人間は絶望して不幸になったりするけど、うちはずっと貧乏だから、絶望しようがない。心が強いから大丈夫なんだ。
きみは、貧乏だから、心が強くなる可能性がある。それはラッキーなことだよ。
それより、このご時世に、他人のことを貧乏だってばかにするっていうのは、ばかにする人間に教養がない、世間知らずで恥ずかしい子どもだよ。

そっちのほうが心配。

子ども、なんだかだんだんうれしそうな顔になってくる。
それで突然、机の上にあったアストラムラインのチョロQを(ほんの昨日、私の友だちの家に行ったときに、もらったものなのだが)「これ、ママにあげる」って渡してくれる。
「ママにあげたいとおもっていたんだ。誕生日のプレゼントだよ」

……自分のほしいものとママのほしいものが一緒だと思うなよ。想像力のないやつめ。うん、まあ、うれしいよ。ありがと。

さて、明日、参観日。