メモ。『オリジンから考える』(鶴見俊輔 小田実)から ①

メモ。『オリジンから考える』(鶴見俊輔 小田実岩波書店 から


Ⅰ 小田実との対話(鶴見俊輔

「米軍からの脱走兵をかくまうために駈けまわっていたころ、その手助けをした十八、九歳の若者がいた。その若者の多くは、予備校教師小田実の教え子だった。」

「『河』は、私の生まれてすぐのころ、小田さんの生まれる前の関東大震災からはじまる。
 一九九二年九月一日、このとき、日本人の深層にあった、自分たちは朝鮮人に対して残酷なことをしている。だから、いつか仕返しをされるのじゃないか、という不安が噴きだして、自警団を自ら組織して査問し、「正しい」(!)日本語の発音のできない者を朝鮮人と見なして虐待したり殺したりする。」

「何千人もの人に槍を突きつけられているというのが、日本国民に囲まれているときの私の感じで、それはアメリカに逃げこんで解消するものではない。張作霖爆殺の号外を手にとって以来の長い間に私の中にかもされたものだ。日米交換船で日本に戻ってきて、家に帰ってからも消えなかった。それに軍隊だ。」

「米国が八月十五日の日本国降伏を知っていて大空襲(終戦合意決定後の大阪の大空襲に小田実は14歳で遭った)を実行したという背景には、昭和天皇自身の命乞いが何万人もの日本人の難死をもたらしたという認識がある。ここから、自分はどのようになってもよいという御前会議での天皇の発言が嘘泣きに見えるという感じが、小田さんの中に生まれた。その感じは私にもある。」

「今の天皇が朝鮮併合のしかたにさかのぼって言及し、そればかりでなく、明治天皇在世中に、根拠なく大逆事件をつくりあげ、無関係な者も死刑にしたことへのおわびを、百年おくれてでも、したほうがいい。アッツ、沖縄、ペリリュー、サイパンへのつぐないがあってほしい。」

「日本からアメリカへは、多くの留学生が行っています。たいていの学生はこういう場合(飛行機から撮影した空襲の記録写真をみたこと)、大統領が見た写真のほうが「高級」だと考えるので、自分の中の記憶をすり替えてしまうのです。自分の肉眼で見たものと、より「高級」だと考えるものをすり替えてしまって、そこからさまざまな思考を出発させるのですが、小田実という人がほんとうに特異だったのは、そのすり替えを行わなかったところにあります。彼は、自分が十四歳のときに見た、逃げ惑う人々、焼き尽くされる町の、その空襲の肉眼の像を、けっして米国大統領の見た写真とすり替えなかった。」

「いちばん重大なのは、現場からの出発ということですね。現場は混沌としている。どの現場も。その混沌としたものを、誰かが整理したものに置き換えないで、その混沌からもう一度考える。混沌のなかで、自分が生きる方向を見据えるということだと思うのです。」