無私の私がその場所となる

メモ『池田晶子 不滅の哲学』若松英輔
第一章 孤独な思索者

「コトバは言語でもあり得るが、ときに色であり、音であり、また芳香あるいは、かたちでもある。」とか「コトバは魂にふれる」というようなことは、なるほどもっともなのだが、
「コトバのもっとも重要な働きは救済である」「コトバは人を救わずにはいられない、それが、彼女(池田晶子)の経験したコトバの本性だといってよい」
つまりそれで、この人はこの本を書いたんだろうなあ、と思った。

いいですね。コトバは人を救わずにはいられない。
そして「まなざし」も「言葉」であること。

救われて、生きております。たしかに。

「人が自己の存在をはっきりと感じるのは、言葉を発したときではなく、自身の言葉が他者に受け止められたときである。」「抱擁に秘められた真実の意味を知るのは、抱きしめた方ではなく、抱きしめられた方である。」
「謎は、それを解こうとする者には苦悩となるが、それを受け入れようとする者には同伴者となる。」
「受苦と恩寵は分かちがたい」「啓示はいつも恩寵である。人はそれを作り出すことができない」

「苦難や危機に際して人が本当に必要とするものは、必ず言葉であって、金や物ではあり得ない」(池田晶子『暮らしの哲学』)

「人は、明日があるから生きるのではない。「道」を聞かねばならないから生きるのである。生涯を賭けてでも「言葉」に出会わなくてはならないのは、自らが救われるためだけではない。自らが「救い」という、大きなうねりの一部になるためである。」「個は世界ではないが、個はいつも世界のかけがえのない一部である。個が、個に真摯に向き合うとき、その時空は二者間にひらかれているだけでなく、同時に世界につながっている。」
「「言葉」はどんな人にも寄り添って生きている。」

「私がつぶやきによぎられるのだ。つぶやきは「絶対」の自己確認であり、無私の私がその場所となる」(池田晶子『事象そのものへ!』)

「「言葉」は、信頼を寄せる物には友となり、それを愛する者には不可視な同伴者となる。」