草笛

昨日の夕方、近所のNさんのお婆さんが、やってきた。犬の散歩の途中に。草笛を吹きながら。
私の子どもに会いに。

なんでも、カラスノエンドウの豆を笛のように鳴らす、そのやりかたを、教えてあげるって約束したらしく、わざわざ摘んで、もってきてくれたのだった。
わたし、それ得意。
と思ったが、子どもも呼んで3人で玄関先でつくって鳴らしてみて、鳴ったのは、Nさんだけだった。
田んぼのピーピー草に、カラスノエンドウに、沼の菱笛。私はなんでも上手に鳴らせたのだ。音階だってつけれた。
最後に吹いたのはいつか。帰省した春に、父の家の玄関前で鳴らした光景がよみがえったが、ざっと20年前だなあ。
20年のブランクを埋めるべく、今日は畑で吹いてみた。鳴る鳴る。大丈夫。
子どももがんばってみたけど、無理でした。

いちご3つ、初収穫。ほとんど野生の状態で育ててるから、野いちごみたいな出来映えだ。(想像にまかせます)
生涯最高の出来映えの苺を、津波で根こそぎされた苺農家もあるだろうなあと、思いつつ。
「荒れ地の畑」と子どもが名前をつけた。うちの畑。


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短歌研究の5月号に、谷村はるかさんが、『もうひとりのわたしが(以下略)』を紹介してくださっていた。ありがとうございます。ガザの少女の一連を引いてもらったこと、うれしく。 
ほかに、竹山広さんの遺歌集『地の世』から、

 原爆を知れるは広島と長崎にて日本といふ国にはあらず


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という歌がひかれていて、ああまったくだなあと思う。
福島の原発事故にさらされた今、その認識は、ことさら苦く、しみてくるみたい。