ありがとうございました。

今日一日、みなさんありがとうございました。

交流会・懇親会に参加してくださったみなさん、準備に走り回ってくださったみなさん、遠方から来てくださったみなさん、心からお礼申し上げます。レティ先生がとってもうれしそうで、しあわせそうで、私はそれで胸がいっぱいで、スピーチとか、質疑応答の内容とか、なんにも聞いてないんですけど、また学生さんたちまとめてくれると思うので、のちのちご報告いたします。

あとで、通訳してくれていたレティ先生の親戚のクヤ・アルが言っていました。
ぼくはフィリピンの子どもたちも知っている。ずっと日本に住んでいて、日本の子どもたちも、インターナショナルスクールに通う子どもたちも知っている。これだけ年をとると、若い人たちのひとみを見れば、その心のなかに何があるかわかるよ。学生たちの質問がとても真摯で、まっすぐで、通訳しながら、ぼくは涙が出そうだった。すばらしかったです。ありがとう。

フィリピンで、見知らぬフィリピン人に、どこに滞在しているのかときかれて、パヤタスと答えると、あぶないよ、と心配されます。臭くて汚くて危ない土地と多くの人は思っている。実際そうかもしれないのですが、そこに子どもたちがいるから、レティ先生はそこで学校をつづけてきて、やめたいと思っても、次の日にはまた子どもたちが来るから、またつづけた、といっていましたが、学校がつぶれそうだったときに、一番苦しかった時に、ほとんどどこからも顧みられなかったときに、なんの偏見も先入観ももたず、まわりの人たちに反対されても学校に通いつづけてくれて、通いつづけることで、レティ先生たち子どもたちを励ましてくれたのが、日本の留学生たちでした。
学校を支援するなりゆきとなったものの、金もなくてなりふりかまっていられないので、いまにいたるまで、毎年の留学生には、ボランティアの連絡係をお願いしたり押し付けたり、私はしていますが、若くて無力で保身がないということはすばらしいです。

今日はレティ先生は、以前の留学生や訪問者たちとの数年ぶり、十数年ぶりの再会もいくつもあって、家族との再会みたいにうれしそうでした。何度も何度も、今日のすばらしい一日への感謝を言っていました。
本当にありがとうございました。

パアララン・パンタオのヒューマニティをわかちあうことのできた一日だったように思います。こんなに胸が温かくなるということは、一生のうちにもたぶんそんなにないような気がします。深く感謝します。