シンプルな場所

無事、東京から帰りました。
カプセルに4日いると体がなじんでしまって、もうずっとそこで暮らせそう。長期滞在しているふうのあやしいおばさんたちにシンパシー感じたり。旅は、自分がどんどんシンプルになってゆく感じがして、夜中に最終の地下鉄乗り遅れて、上野駅あたりからゆらゆら歩いていたら、自分がどこで生きていて、どんな家族がいて、どんな日常だったか、ふっとわからなくなりそうな感じで、そんなふうに、帰れなくなったりすることもあるかもな、と、ちょっと自分が不安だった。

レティ先生たち17日までいるので、おまえももっと一緒にいようよと言ってくれるのですが、これ以上滞在すると家への帰り道を忘れそうな気がして、なごりおしさを耐えて帰ってきたら。
私のいない間に、家のなかは掃除がされていて(顔さえ見なけりゃ期待もしないから腹も立たない。自分で淡々と掃除できる、と言っていたけど本当に掃除してた)、子どもは新しい玩具を手にいれて(エレクトーンのアンサンブルの大会で銅賞もらったお祝いなんだって。期待してないから最後まて見ないで途中で抜けて、私は上京したんだった)、とてもいい子で過ごしていて、なんだ、そんならもっと東京にいればよかった、とちょっと思ったけど。
「ママがかえってきてくれてうれしいよ」と寝る前になって子どもにしみじみ泣かれて、そうか、もしかして私は母親なのか、とようやく自分の現実に着陸した感じ。

12日は浅草、秋葉原で、13日は原宿で、レティ先生たちは、東京観光がてら、11日に会えなかった人たちと会っていたりして、私もいろいろとなつかしかった。
パアラランを通していろんな人といろんなふうに、家族みたいに気持ちがつながってゆくのが、なんだかすごく不思議で、ほのぼのとうれしい。
歳月が過ぎればいろいろと人生は複雑になってゆくし、宿命は容赦ないし、それぞれに、いろいろと抜き差しならない現実にがんじがらめではあるんだけれど、いっしょにいる間、気持ちがとてもシンプルななつかしい場所にもどっていくみたい。10年ぶりでも、たった昨日も一緒にいたみたいな、この親しみの感情は、あたたかい。

今日本で暮らしている親戚のクヤ・アルとは、十数年以上前に、パヤタスで会ったのが最初だったかなあ、最初に会ったころは、こんなふうになるとは思わなかったなあ、とクヤ・アルが言って、私も学校が20年もつづくなんて、みんなが日本に来ることがあるなんて、夢にも思わなかったなあと思った。
クヤ・アルは昔、来日する外国人に東京を案内して暮らしたこともあるらしく、よく道を知ってる。仕事終わったあと迎えに来てくれたクヤ・アルの車で、私も観光案内してもらった感じだ。

一方、パヤタス校では、レティ先生がいない間に、学校のお手伝いさんが、いなくなった。ジュリアンが電話をかけてきたらしい。理由はまったくわからないが、あれこれバッグにつめこんで、逃げちゃったらしい。
実害はたいしたことないと思うんだけど。
それでテリーさんと先生たちが学校に泊まり込んでる、という話。

ジュリアンは彼が10代の頃から知っている。子どもたちも大人になる。ジュリアンの1歳半の息子は、何か難しい病気らしい。生まれたときから体にいろいろと障害がある。2週間前からまた入院している。

生きることの容赦なさは、それぞれに本当に容赦ないんだけれど、それぞれの生きる環境の違いとかいろいろあるけど、でも人は人と、とってもシンプルな心の場所で出会ってゆける、そのようなシンプルな場所から、現実を一緒にとらえなおしてゆける、そんなふうな出会いが楽しいと、人生は、何かとても美しい夢のようでもあるみたい。

という東京4日間でした。
お世話になった人たち、いっしょに遊んでくれた人たち、本当にありがとう。