またしても

「法相 朝鮮学校の無償化に慎重(NHKニュース 10月9日 4時35分)

拉致問題を担当する柳田法務大臣は、報道各社のインタビューで、教育内容を理由に、朝鮮学校を高校授業料の実質無償化の対象とすることに慎重な考えを示しました。 柳田法務大臣は、8日午後、内閣府で報道各社のインタビューに応じ、高校授業料の実質無償化の対象に朝鮮学校を含めるかどうかについて、「最終的には文部科学省の判断だ」と述べました。そのうえで、柳田大臣は「朝鮮学校の教科書には、拉致問題について、『問題が極大化されている』とか、『1987年の大韓航空機爆破事件はでっちあげだ』など、到底承服できない記述がある。まちがった教育はしてほしくない」と述べ、教育内容を理由に、朝鮮学校を実質無償化の対象とすることに慎重な考えを示しました。」以下略。

 ああ、またしても。

 これは、政治が、教育に介入するということでなくて何だろうか。教育内容について云々するのは、民族自決権の侵害でなくてなんだろうか。
 拉致の問題が納得できる記述ではないという。そんなこと言い出したら、日本の朝鮮人連行の記述だって、された側にとったら、とうてい納得できる記述じゃないだろう。だいたいなんで彼らはこの国にいるんですか。日本が侵略したからでしょう。
 教育内容に問題があるとか、どんな理由づけも、いじめられるのはいじめられる側が悪いからだという理屈と変わらない。卑劣だ。教育内容がどうとか、そんなのは金を出してからあとで対話すべきことで、民族教育を受ける権利を保障し、心尽くしてそこで学ぶ子どもたちをサポートしてからあとで言うべきことで、そういうことをなんにもせずにいて、民族学校に対して、戦後65年、信じられないほど冷たい仕打ちを重ねたあげくに、言うべきことではないわ。
 この独善的な日本という国はなんですか。

 親が子どもになんとか教育を受けさせようと、心砕いて苦労を重ねているのは、フィリピンのゴミ山の子どものお母さんも、民族学校に通う子どもたちのお母さんも、日本の学校に通う子どものお母さんも変わりないと思う。ことは学習権の問題なんだから、まずその視点から見ていくべきで、子どもたち親たちを、政治の犠牲にしてはいけない。

 同じこの国で生きていく子どもたちを、厳然と差別しているこの国の在り方を、あたりまえと思ったら、人間として、自分がおかしくなりそうな気がする。



 民族学校の小学校1年生の朝鮮語の教科書をもらった。子どもがとびついてみていた。あれこれ質問されても教えられないが、きみはきみなりのやりかたで、いろんな文字に親しんでおくといい。この国で生きづらくなったとき(この国はマイノリティーには何かしらとても残酷な社会だから)、異なる民族、ほかの国の人々との友情は、きっときみを励まして助けてくれるよ。