海中公園

戦後40年目の8月15日は、私は韓国の釜山にいて、東亜大学校の学生だったイ・サンヒという女の子の家に泊めてもらっていて、朝、
「イルボン」「イルボン」と繰り返されるマイクの声で目が覚めた。
窓を開けたら、道のすぐ向こうが小学校で、運動場に整列した子どもたちの前、朝礼台の校長先生が、マイクで喋っているのだった。
光復節なので、夏休みですが登校日です」とサンヒが教えてくれた。
日本の侵略から解放された日なんだと、校長先生は話していたのだろう。私に聞き取れたのは「イルボン(日本)」だけ。
その日、パク・チェフンが、新聞を買ってくれたのは、私が欲しがったのかな。読めないのに。やさしいお兄さんだったな。
あの「イルボン」の声と、新聞を見た記憶で、私はその日、自分がどこにいたかを覚えている。

それから四半世紀後の8月15日は、昨日までの旅の疲れで、午前中は寝て過ごして、午後は畑に行って、子どもに絵日記かかせて、もらって帰った魚を煮て、「龍馬伝」みて、一日終わった。



帰省の話のつづき。Img_0022 

13日は、早朝、兄と喫茶店で待ち合わせ。それから兄の運転で、足摺岬まで行った。子どものときに連れて行ってもらって以来だ。あの頃、いろんなところに連れていってもらったけど、その度にげーげー吐いて、しんどかったなあ、みたいな話しながら。
ほんとにな、兄と、去年死んだくーやんと、ふたりして、いろんなところに連れてってくれたよ。休みの日に、ちょっと行こう、って声かけられて、うっかり車に乗ったら、高知に向かってたり、高松に向かってたりしてたもんな。そうなると一日がかり。
兄も何十年ぶりらしい、足摺まで、道もずいぶん整備されていて、えー、こんなに簡単に来れるのか。

足摺の手前、竜串には、海中公園があって、ちょっとした水族館、海に突き出たあやしい建物のなかを、ずっと階段降りていって、海の底にもぐって、窓から海の中の生け簀で飼ってる魚を見る、という感じかな。
水族館ほど水がきれいなわけでもないけど、潮の流れとかあるのもわかって、魚が流されそうになりながら、必死に藻に食いついていたりするのがいじらしい。
ここで、子どもがいきなりカメラにめざめて、私のカメラをもって魚影を追いはじめた。それがなかなかうまくいかないんだな。はりせんぼんだけが、何度も気持ちよく被写体になってくれていた。
ここのアイスクリームはおいしい。

全然思い出せなかったのに、離れるころになって、ここに来たことあるなあ、という気がしてきた。何度も連れてきた、という顔を兄はしていた。

もうすこし行くと、新しい立派そうな水族館があって、こっちはふつうの水族館みたいだけど、寄らず。