釣り

夕方は、釣り。Img_3621_3 
ふたりの叔父たちが、はりきった。
しゃべるほうの叔父が、釣りやすい釣り竿を用意してくれる。
しゃべらないほうの叔父が、その他の段取りととのえている。
というわけで、撒き餌をして擬餌針で、ゼンゴを釣る準備ができてゆく。
これ、かんたん。りくに用意してくれた釣り竿で、私が釣った。
やあ、よく釣れた。ゼンゴにチダイに小さいけどグレも数匹。
自分が釣るのに忙しいので、その間、子どもが何してたかよくわからん。叔父たちがかまってくれて、「ぼく、いっぴきつった」って言ってたから、釣ったんだろう。

叔父たちふたりは、河岸をかえて、まだ釣ってくるという。
兄は叔父たちの運転手をしていたが、兄の車、後ろのライトのどれかがつかなかったり、前のライト、飛びだして、はずれそうになってたり(とりあえず接着剤でとめたけど)ちょっとぎょっとした。
もっとも驚いているのは私たちだけで、兄や叔父たちは、まあ、こんなもんやろ、みたいなことだ。

それで兄や叔父たちと別れて、私たちは父の家に行って、私は釣った魚をさばくのだが、これが、おっそろしくめんどくさい。
ゼンゴ(小あじ)を刺身にしようなんて、誰が言ったんだ。
難儀していると、叔父たちが、大きなグレを何匹か釣ってやってくる。
しゃべらないほうの叔父が、魚をさばくの、手伝ってくれる。
すごいぞ。
ものすごい早さで、どんどんさばかれていく。
ゼンゴの刺身が皿に一山。
そのまま、しょうゆだけかけて食う。

えーん、うまいよう。

もし宇和島湾が、水俣湾だったら、最初にやられるのは、うちの、しゃべらない叔父みたいな人たちだな。それから、魚というのは、店で買うものでなく、叔父が釣ってくるものだと思っていた私たちだな。
と、ふと思ったりして、このしゃべらない叔父たちのような人たちが、たとえばチッソのような近代の暴力にさらされることの痛ましさが、いきなり生々しかった。

久しぶりに、父や兄や叔父たちに逢うと、年くっていくせいもあるんだが、容貌の崩れように、一瞬、息がつまる。が、まあ、すぐに見慣れる。
でも、記憶のなかにあるのは、子どもの頃に見慣れていた、まだ若い兄や叔父たちだったりして、なかなか上書きできないでいるらしいんだな。

残りの魚は冷凍する。
しゃべらないほうの叔父の家の冷凍庫に、魚、干したり冷凍にしてあるのがたくさんあるから、帰る前に寄って、持って行けという。
で、翌々日寄ると、また新しく釣ってきた大きなグレもあったりして、たぶん、2、3週間分、晩のおかずがあるよ。もらって帰る。
しゃべるほうの叔父も、土産もたしてやる、というので、寄ると、じゃこ天たくさん買ってくれました。
父からは現金もらう。

やっほ。
ありがたい。