大阿蘇

三好達治阿蘇の詩を読んだのは、小学校の終わりか中学のはじめの頃で、昭和45年頃の中央公論社の日本の詩歌全集に収録されていた。あの全集は本の口絵にはきれいなカラーの風景写真があって、阿蘇の写真もそのなかにあったような気がする(今、本を取り出せないが)。あの口絵の写真は、とてもよかった。本をひらく度、写真を見る度、どきどきしたのを今も思い出す。ながめているだけでしあわせだった。
どんな詩だったっけ、と思って「名もかなし草千里浜」のフレーズの記憶をたよりに検索したら、「草千里浜」という詩もあったが、いやいやこれじゃない。馬がいたんだ、馬がいて、雨が降っていて、馬は草を食べていた。
中学の修学旅行が阿蘇、熊本、長崎だった。阿蘇山の火口で拾った小石や砂は、もしかしたらいまも、実家の押入れのダンボールのなかの小箱のなかにあるかもしれない(すでに処分してしまったかもしれない)。
あのころ胸いっぱいにひろがった光景が、その詩を読んだときのものか、写真を見たときのものか、実際に訪れたときのものか、わからないが、
ある風景で、胸がいっぱいになる、という忘れがたい経験として、阿蘇の記憶がある。
どこかでずっと憧れていて、たぶん、半ば天上の光景のように思っていたかもしれない。この地震災害で、阿蘇が、普通に人々が暮らす土地でもあるということに、ようやく気づいて、震える。
お見舞い申し上げます。

☆☆

    『大阿蘇』 三好 達治

 雨の中に馬がたっている
 一頭二頭仔馬をまじえた馬の群が 雨の中にたっている
 雨は蕭々(しょうしょう)と降っている
 馬は草を食べている
 尻尾も背中も鬣(たてがみ)も ぐっしょり濡れそぼって
 彼らは草をたべている
 あるものはまた草もたべずに きょとんとしてうなじを垂れてたっている
 雨は蕭々と降っている
 山は煙をあげている
 中獄の頂から うすら黄ろい 重っ苦しい噴煙が濛々(もうもう)とあがっている
 空いちめんの雨雲と
 やがてそれはけじめもなしにつづいている
 馬は草を食べている
 草千里浜のとある丘の
 雨にあらわれた青草を 彼らはいっしんにたべている
 たべている
 彼らはそこにみんな静かにたっている
 ぐっしょりと雨に濡れて いつまでもひとつところに 彼らは静かに集まっている
 もしも百年が この一瞬の間にたったとしても何の不思議もないだろう
 雨が降っている 雨が降っている
 雨は蕭々と降っている