歳月

向かいの森は藤が花盛り。季節がどんどんすすんでいく。

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この年になると、10年ぶり20年ぶり30年ぶりぐらいに、誰かの消息を知るっていうこともあるんだけど、思うけど、人間ってあんまり変わらないのね。
いや、いろんなことが変わるんだけど、その人の「核」にあるものは、変わらない、というか、その変わらなさに出会って、変わらない慕わしさを感じるときってほんとにうれしいけど、すりすりしたいくらいうれしいけど、
その変わらなさに出会って、うんざりするときって、ほとんど絶望的にうんざりする。歳月はこんなに人間を救わないんだ、と。
反省してるとか、善意であるとか、正しいこと言ってるとか、その程度のことで、ほんとうにいい人間になれるんなら、しあわせですけど、
善意だから善とはかぎらないし、そのあたりの注意深さについて、話が通じないひとのために、時間を費やすのはあまりに虚しいと、もう幾度も骨身にしみている。
私は相当に我慢強い人間だとは思ってますけど、だから何を言っても大丈夫と思うかどうかしらないが、言ってはいけないことってあるんだよ。

そのうんざりする「核」のようなものがはっきりしたら、私ももう迷わずに、絶交するんだ。私は、私の守りたい人たちに、その歪んだ「核」を近づけたくないし、その歪んだ「核」とつきあえないし、その歪みを私はなおせないし、本人的には、反省して善意で正しいので、なおす気もないし、正しいことを言ってる自分の話を受け入れない私こそが、「人として間違い」というふうに見えるらしいので、
「人として間違い」の私とつきあうなよ、ばか、って話だけど、その間違いをなんとかしろとか言ってくるのが、ほんとうは、自分がさびしいからかまってほしい、ってことなんだと、自分ではたぶん気づいてないか、気づきたくないか。
目の前に歪んだ鏡を置かれた感じの、気分の悪さ。汚れた鏡は磨けばいいが、歪んだ鏡は……。自分で一度壊れてください。
それら歪んだ鏡に、たくさん翻弄されてきたと思うけど、昔、なんだかわかんなかったそれらの歪みに、すっきり気づけるようになった分だけは、歳月は私の味方だと思う。

ここんとこ、人間関係は気持ちのよいものばかりだったので、町内会でうんざりなおばさん、ぐらいしかいなかったけど、久しぶりに、本気の絶交、というものをした。