線路はつづく

   あけがたには  藤井貞和

夜汽車のなかを風が吹いていました
ふしぎな車内放送が風をつたって聞こえます
……よこはまには、二十三時五十三分
とつかが、零時五分
おおふな、零時十二分
ふじさわは、零時十七分
つじどうに、零時二十一分
ちがさきへ、零時二十五分
ひらつかで、零時三十一分
おおいそを、零時三十五分
にのみやでは、零時四十一分
こうずちゃく、零時四十五分
かものみやが、零時四十九分
おだわらを、零時五十三分
…………
ああ、この乗務車掌さんはわたしだ、日本語を
苦しんでいる、いや、日本語で苦しんでいる
日本語が、苦しんでいる
わたくしは眼を抑えて小さくなっていました
あけがたには、なごやにつきます
           (『ピューリファイ!』1984年08月 書肆山田)

国語の問題集に、電車の絵が載っているのを息子は見つけた。その電車の絵の上に載っていた詩だったので読んでみた、ということなんだが。
日本語を苦しんでるって、何でしょう。「零かな」。漢字の書き取りに苦しみそう? 「ちがうよ、零時零時って繰り返すのが」。
それは繰り返すよりしょうがないんだけど、繰り返さないために工夫しているところもあるよ。「?」地名のあとの、助詞の多様性。には、が、は、に、へ、で、を……
「おお」と言った息子、音読をはじめた。車内放送の場面だけ。
……よこはまには、二十三時五十三分
とつかが、零時五分
おおふな、零時十二分
そして、
おだわらを、零時五十三分
に出たあとの、詩のなかで…………になってるところにも、
いくつものいくつものいくつもの、なごやまでの、いろんな地名と時間を入れてそらで読んでいた。あたみ、とか、しずおか、とか。再現したいが覚えてない。
「いつの時代の、なんという夜行列車かなあ」というのが彼の疑問だ。
『ピューリファイ!』所収の詩だということはいま調べてわかった。
『ピューリファイ!』なら学生の頃に読んだ記憶がある。でも覚えてない。
(覚えているのは、何かの詩のなかで、津島佑子と結婚してもいいと思っていましたと書いていたことで、その後ほんとに結婚したとき、そのことを思い出した。)
ともあれ、すくなくとも1984年より前に走っていた夜行列車だと、あとで教えてやろう。

学校の連絡帳には小学校のころと同じように、短い日記を書く欄がある。内容は自由だが、ときどきテーマを決められる。ここしばらく、各授業と先生についての感想がテーマだった。で、息子の日記。
○○先生は、これでもし鉄道に興味があれば、理想の先生に近いです。とか、
✕✕先生は、鉄道に興味がありそうな雰囲気なので、期待しています。とか、
本人的には素直に真面目に書いているのだった。

富山に転勤したと、友人から葉書が来て、富山ってどこだっけ、と私は思うのだったが、えーと、広島から富山まで青春18きっぷで行くとすると、と息子は時刻表を繰り始めるのだった。「一日で行けるよ。始発で出たら、夜には着く」。
路線の説明をしてくれたが、覚えていないから再現できない。つまり、線路は続いているわけだ。