誤解

善意だから善とは限らない。
とは、ボランティアの現場で学んだことだけど、善意にあふれているから、ボランティアができる、とも限らない。
善意にあふれていても、失敗するのがむしろ当然かもしれないし、だから、反省はしてもいいけど、いちいち落ち込まない。

パアラランが、なんとかうまくまわっているのは、まったく不思議なことなのだ。

人間関係は、誤解がついてまわる。
アスペルガーだったりしたら、よけいにそう。
たった6歳の子どもも、苦労している。
約束を破ろうと思ったとか、困らせてやろうと思ったとか、
そういうわけではないのに、そうなってしまったのがなぜか、
きみにだってわからないよな。
でも叱られる。
大人だったりすると、叱られるだけですまない。
ごめんなさいを言っても許されなかったりするんだよ。

わかってもらおうとか、あんまり思わないほうがいい。
言い訳してる、としか思ってもらえないし、
きみの理屈は他の人には通じなかったりするしさ。
それはしょうがなかったりするよ。

善意だから、理解しあえる、とか、協力しあえる、とか、
あんまり思わないほうがいい。
人間の度量って、それぞれあるし。

しょうがないよ。
ごめんなさいが通じなかったら、しょうがない。

だから。
うまくいかないからって、いちいち落ち込まない。
それはもう、そういうもんだし。

悪いなりゆきもあるかもしれないけど、
いいなりゆきがめぐってくることもあるよ。

何かができるとか、何かしなきゃいけないとか、
思わなくていいよ。

生きてるだけでたいしたもんだし。
おまけに仕事までしていたり、
勉強つづけていたり、
えらいじゃん。

なりゆきを素直に生きていたら、そのうちふいに、
見晴らしがよくなるかもしれないよ。
うまく動き出すことも、あるかもしれないよ。



で、ボランティアしようとかしたいとか、私は夢にも思ったことはないんだが、これはなりゆき、たぶんもう、私の気持ちで、勝手にどうこうできなくなってしまったなりゆき。

それで私は明日からフィリピン。
でもほんとは、ボランティアじゃなくて、ただの里帰り。
向こうにいる間、ごはんつくんなくていいし。

パパと息子は、お婆ちゃんちに行くらしい。