「ちいさな群への挨拶」

 「ちいさな群への挨拶」 吉本隆明

あたたかい風とあたたかい家とはたいせつだ
冬の背中からぼくをこごえさせるから   
冬の真むかうへでてゆくために
ぼくはちいさな微温をたちきる
おわりのない鎖 そのなかのひとつひとつの貌をわすれる
ぼくが街路へほうりだされたために
地球の脳髄は弛緩してしまう
ぼくの苦しみぬいたことを繁殖させないために
冬は女たちを遠ざける
ぼくは何処までゆこうとも
第四級の風てん病院をでられない     
ちいさなやさしい群よ
昨日までかなしかった
昨日までうれしかったひとびとよ
冬はふたつの極からぼくたちを緊めあげる
そうしてまだ生れないぼくたちの子供をけっして生れないようにする 
こわれやすい神経をもったぼくの仲間よ
フロストの皮膜のしたで睡れ      
そのあいだにぼくは立去ろう
ぼくたちの味方は破れ
戦火が乾いた風にのってやってきそうだから   
ちいさなやさしい群よ
苛酷なゆめとやさしいゆめが断ちきれるとき
ぼくは何をしたろう
ぼくの脳髄はおもたく ぼくの肩は疲れているから
記憶という記憶はうっちゃらなくてはいけない    
みんなのやさしさといっしょに
        
ぼくはでてゆく
冬の圧力の真むこうへ      
ひとりっきりで耐えられないから
たくさんのひとと手をつなぐというのは嘘だから
ひとりっきりで抗争できないから
たくさんのひとと手をつなぐというのは卑怯だから       
ぼくはでてゆく
すべての時刻がむこうがわに加担しても
ぼくたちがしはらったものを
ずっと以前のぶんまでとりかえすために
すでにいらなくなったものにそれを思いしらせるために      
ちいさなやさしい群よ
みんなは思い出のひとつひとつだ      
ぼくはでてゆく
嫌悪のひとつひとつに出遇うために      
ぼくはでてゆく
無数の敵のどまん中へ
ぼくは疲れている
がぼくの瞋りは無尽蔵だ

ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる
ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる
ぼくがたおれたらひとつの直接性がたおれる
もたれあうことをきらった反抗がたおれる       
ぼくがたおれたら同胞はぼくの屍体を
湿った忍従の穴へ埋めるにきまっている
ぼくがたおれたら収奪者は勢いをもりかえす

だから ちいさなやさしい群よ
みんなひとつひとつの貌よ
さようなら


                 「転位のための十篇」(昭和28)
                 (現代詩文庫 吉本隆明詩集)

学生のころに読んだのだ。久しぶりに読み返した。
私にとってはこの詩がすべてだったなあと思う。合掌。