パヤタス・レポート 9 青い屋根の家

滞在の最後の日、レティ先生が、私たちの農場へ行こう、と言う。Img_0366 
末息子のジェイが家をつくったらしい。

ディヴィドが車を運転して、私とレティ先生と3人で、最初にエラプ校に行き、それからケソン市にもどって銀行に行き、先生たちの給料のために、いくらか引き出し、それから、去年の水害で大きな被害の出たマリキーナを過ぎて、リサール州へ。

その前に、ジョリビー(ファストフード店)でお昼ごはん。個人的には、マクドナルドのハンバーガーよりジョリビーハンバーガーのほうが好きです。十年ぶりぐらいじゃないか。ジョリビーハンバーガーの一番大きいやつ食べる。しあわせ。ジョリビー、世界各地にあるらしいのだが、日本にはなくて、残念。

リサール州アンティポロの郊外の山のなかに、ジェイとカティは、小さな家をつくった。マニラから一時間半くらいかな。舗装道路をはずれてでこぼこの山道をすこし入っていって、車はとまった。
白い壁、青い屋根、ベッドルームのふたつある、きれいな小さな建物。家はもうできていて、左官が見習いらしい少年とペンキで細かな仕上げをしていた。
ジェイとカティが、カティの親の協力もあって、つくった家。街からは遠いので、ふだんは住まないが、週末や休日をここで過ごすことができる。夏休みには、カビテにいる次女のジンジンと息子たちと犬が1ヶ月滞在したという。
家具は、兄弟たちが、いろんなところで、サンプル品だとか、映画のセットで使ったものだとか、無料で手に入れてきた。窓のふたつは、パヤタス校の旧校舎で使っていたものを再利用している。

畑もある。斜面に、バナナやマンゴーの木々。野菜や芋。サンパギータの花畑も。鶏も。古い小屋には近所の人がいて庭の手入れをしている。ニッパ椰子の東屋もある。雨のなか、レティ先生と傘をさして散歩した。ジェイとカティは、夢のような小さな美しい家をつくった。

ビンが死んでしまって、この家に来てもらえなかったのがとても残念だとレティ先生は言った。ジェイがとても悲しがっていた。彼らのチルドレンズラブの活動、セミナーやいろんなことに、この家を使ってもらいたいと思っていたのだ。
庭の片隅に、廃材がつんである。これはパヤタス校の旧校舎から出た廃材、それからエラプ校のこわれた机たち。虫除けのために燃やしたり、近所の人にわけてあげると喜ばれるのだという。

ディヴィドは、滞在中、雨が降る度、去年、台風で、私が帰れなかったときに、空港まで何度も迎えに行ったことを思い出すらしく、到着ゲートにいると思ったのにいないんだ。探したら、出発ゲートにいて、子どもみたいに荷物の上にすわっていたよ、とその話を何度もして笑った。

午後をゆっくり滞在して、街へもどった。パアラランの学校のことも、ジェイたちの小さな家のことも、なんだか美しい夢のなかにいるようだと思いながら、車のなかで寝ていた。

夕方、SM(ショッピングセンター)でお土産を買う。
子どもがさ、お船がいる、というのでさがすのだが、ない。去年、ここのスーパーで買った安い船がお気に入りで、壊れても、毎晩お風呂のおともにしているのだが、かわりのがほしい。
ところがないのだ。玩具屋に行くと、どっかで聞いた音楽が流れているし、「マジンガーZ」だ♪ 思いっきり日本語。また並んでいる玩具が、メイドインチャイナで説明書きは日本語、というものばっかりで、日本の玩具屋と同じで、全然楽しくない。店員さんも探してくれるが、船がない。水に浮くシンプルなやつでいいのに、なぜない。
ようやく見つけたのは、トーマスのシリーズの小さな船で、これも、メイドインチャイナで日本向け。でもまあ、なんとか船があった。

翌朝6時半、ディヴィドとジュリアンが、車で空港まで送ってってくれる。ジュリアンはオフィスまで一緒。
で、ジュリアンが、念のために紙切れに、デイヴィドと自分と学校の電話番号を書いたのをもたせてくれる。「何かあったらまた迎えに行くからさ」と笑う。

ディヴィドが、長い手を大きくふって見送ってくれた。

空港のなかで、パスポートチェックをしていたお兄さんに、「ボーイ?」ときかれた。ボーイ、ではないので、「ガール」と答えたが、この年になると、それもなんだか、恥ずかしい。

で、無事帰国。家族もご機嫌よろしくいたんだが、翌朝から私は高熱。数日後には、子どもが高熱。つづいてパパが高熱。
留守番やら子どもの世話やら、疲れ果てたあげくに、病気をうつされたパパが、怒ったのなんのって。

今日あたり、やっとすこし落ち着いた。やれやれ。