パヤタス・レポート 8 クレイジーマン

クレイジーマン、と呼んでいた。
まあ、そんなふうにしか呼びようがない。
ひょろりと痩せていて、40代くらいか。カーキ色の上着を着ていて、姿勢は非常によい。
クレイジーマン、パヤタスの路地を行き来している。
朝、ふらりと教室に入ってきては、出ていく。入って来ないように、門扉を閉めるのだが、子どものやってくる時間は開けている。その時間にやってくる。

滞在中のある朝、教室に入ってきたクレイジーマンは、世界の国旗のポスターの前に立って、そこにいた私に向かって、国旗の説明?をはじめた。
「ア、ア」とうなりながら、ひとつひとつの国旗を指さして、パントマイムをするのである。ちょうど、バスジャックの事件のあとだからなのか関係ないのか、首を切られたり、腕を切られたり、というしぐさのあとで「パタイ」(死んだ)という。いろんな死に方を披露しているらしい。喋ったのは、「ア、ア」と「パタイ」だけである。
国旗を指さしながらのパフォーマンスはさらにつづく。
十字を切って祈ったり、マラソンランナーになったり、カンフーのようなことをしてみたり。
シャツをめくって、体の刺青のあれこれを指さしたり。この刺青が、不可解な記号のようなものを、乱雑に書き散らしたような感じ。腹とか腕とかに、いろいろ彫ってある刺青を「ア、ア」と見せつける。
この人は、国旗でイマジネーションが刺激されるのか。もしかしたら自閉症仲間だろうか、知的障害もありそうだ、と思っていたら、日本の国旗を指さして、お辞儀する。
そのお辞儀をみたときに、この人、日本人だったろう、といきなり思った。と思って見ると、もう日本兵にしか見えないような、立ち居振る舞いなのだ。姿勢のよさも、服だって遠くからなら軍服に見える。ひたたれのついた帽子も。
この人は、もしかしたらこの国で戦死した前世の姿をそのまま生きなおしているんだろうか。

一度、教室を出ていったクレイジーマン、またもどってきて、今度は、滞在していた日本人の女の子、はるかちゃんに、ボクシングのチャンピオンベルトのようなものをもってきた。ダンプサイトで拾ったものだろうが、彼女へのプレゼントなのだろう。
それからまた出て行って、先生たちは門扉を閉めて鍵をかけた。

その翌日、道でクレイジーマンを見かけて、めまいがしそうになった。いつものカーキ色の上着の腕のところに、日本の国旗が縫いつけてある。「日本軍の亡霊だ」と言ったら、レティ先生笑っていたけれど、言った私のほうがこわくなった。それで日本刀もって、お化け屋敷に立ったら、きっとみんな悲鳴をあげます。

ときどき、そんなふうな国旗の上着を着ているらしい。やってきて、「お腹がすいた。20ペソください」と物乞いしていくこともあるらしい。彼の母親はとても年老いているが、彼はその母親を殴ったりする。

レティ先生が、パヤタスの学校で生活しているのは、このクレイジーマンのようにどんな人間がうろうろしないとも限らないという治安上の理由が第一だ。

まったく強烈だった。クレイジーマン。
カメラを向ける度胸はないので、写真はなし。