あなかしこ

夢のなかに、死んだ母がでてきて、
こっちへおいで、って私を呼ぶ。あとをついて二階の部屋に行くと、
お金、いるんでしょう、って、一万円札をまず10枚出してくれる。それからまた10枚、また10枚。全部で30万円、渡してくれる。
助かった、これで大学に行けます。ありがとう。
ああ、おかあさんってありがたい。
……と思っている夢。

ゆめ。
目がさめたら、おかあさんもいないし、30万円もないし。

病院の待ち時間は長い。
石牟礼道子の「最後の人 詩人高群逸枝」を読んでいたら、いまどこにいるかがわからなくなりそうだった。
なにか敬愛の情が、胸に迫って泣きそうになる。高群逸枝にたいする著者の敬愛の情なんだけど。出会ったことのない最初っから死者であった人への、独特の思いの紡ぎ方に、ゆさぶられる。

たとえば逸枝はこのように書かれる。
「生ま身一般の人間とはうまくつきあえる人ではなかった。世の弱者、それも最低の弱者となら、対等の関係にはいれた。」

ふいに、むかし、家の前で雨宿りしていた乞食のおじいさんに、母が、朝ご飯食べさせて、傘と小遣いもたせて見送っていた景色を思い出した。あの母はふしぎなひとだった。

「日本は目にみえない崖へ進みつつある。「防備は暴備、亡備である」ということを私はつくづく思う。」
というような文章がふと目にとまる。この本、1960年代後半の文章だけど。

逸枝の日記から。関東大震災のときの。

「九月一日
……月が出た。神秘な不思議なきもち。人間のつくった文明がいかにもろいものかという実験はみごとなものだ。もはや充分に行なわれた。上結果だ。神保町の本屋はまる焼けだろう。これで日本の書物の心臓が破裂したというものだ。

九月二日 朝
……人びとの眼ははじめて地上の火事から空の海へ、宇宙へと移ったらしい。宇宙は一種の異様な、たぶん原始人にあたえたのと同じ圧力を、文明社会の人民たちにあたえているようだ。あなかしこ、たんららら。

二日 夜
……○○○たちは手ぐすね引いているらしい。××人が来たら一なぐりとでも思っているのかしら。じつに非国民だ。いわゆる「朝鮮人」をこうまで差別視しているようでは「独立運動」はむしろ大いにすすめてもいい。その煽動者にわたしがなってもいい。」

高群逸枝の「娘巡礼記」をもっている。学生時代に手に入れたんだ。でも読んだかな。忘れたのかな。記憶がない。また読んでみよう。

病院の待合にすわっていると、なぜかいつも、夜のような気がしてしまう。あるいは曇りや雨の日である気がする。でもふと顔を上げると、窓の外は明るく晴れているのが、なんだか不思議。

たぶん、ずっとむかし、母を病院に連れていった18歳の梅雨の日に、ひきもどされてしまうらしい。いまはあのときではないんだよと、自分に言い聞かせてやらなきゃいけない。

長生きしよう。親が死んでもどうってことない、と子どもが思えるくらいの年齢になってから死のう。

それで検査だが、それなりに病名はついてるが、次は2か月後とか、半年後にまた検査しましょうみたいなことだった。どうってことないのだろう。

「二十世紀の「母達」はどこにいるのか。寂しい所、歩いたもののない歩かれぬ道はどこにあるか、現代の基本的テーマが発酵し、発芽する暗く温かい深部はどこであろうか。……根へ、根へ、花咲かぬ処へ、暗黒のみちる所へ、そこに万有の母がある……」(谷川雁 詩集『大地の商人』)

さしあたって、昨夜、母は私の夢のなかにいた。
どこで工面してきた30万円だろうか。

ゆめの。