東京漂流

14日~18日、東京に行っていました。Cimg2061 
お会いしたみなさま、ありがとうございました。
署名してもらったり、お金もらったり、ご飯おごってもらったり、お話きいてもらったり、お土産もらったり、ほんとにありがとうございました。
楽しかったです。
無事帰ってきた。

カプセルも、いつものところと、いつもとは違うところと、2カ所泊まって、若い人たちのいろんな国の言葉が聞こえて、異国情緒を楽しんだ。
3年前から必ずそのカプセルで出会う白人のおばさんがまだいた。住んでるんだね。日本人のおじさんやおばさんも、なんだか見慣れた顔がちらほら。住んでるんだね。

道を歩いていて、女性のホームレスの人を何人か見かけた。男性はたくさん見かけた。最初はそうと気づかなかったんだけど、なんだか奇抜な格好をしているなと思って、着ぶくれて重ね着している、いろんな模様の服を統一感なく着ているのが、家にいるときの自分といっしょだなと思って親しみを感じて見ていたら、歩き方がまた私と似ていて、なんだかどきどきした。
なんというか、髪のざんばら具合とかも、とても他人のものと思えず、もうひとりの自分がそこにいるみたいな、私がここにいてそこにいないというのは、ほんの紙一重のことだと思った。
建物の壁とポストの隙間に段ボールがつっこんであるのは、夜は誰かの寝床になるんだろう。

街を歩くと疲れる。駅の階段の上り下りが嫌いである。それですぐに路上にすわりたい。それで駅の周辺、適当なすみっこを見つけてすわると、におう。先客がいたんだなあ。スラムのにおいだが、フィリピンあたりだと、スラムもコミュニティだが、ここはこんなに、ひとりひとりばらばらなんだ。
におわない適当なすみっこをさがして、うろうろしたり。
真夜中、缶拾いをしているおじさんとすれ違ったり。

上野公園の桜が咲きはじめていた。鳥が花を食べていた。Cimg2070 
ラファエロ展と、エル・グレコ展を見た。どちらも宗教画。
聖人たち、聖母子たち、同じテーマなのに、全く違う。それぞれにとても個性的。だけれども「私」を表現しようなんて露ほども思わなかったろう、と思った。おそらく、エゴイスティックなものは、もとより芸術ではあり得なかったんだろう。

本屋に本が並んでいることに素朴に感動したりする。
本が読めるから、私は自由だと思っていた。
本が読めたらそれだけで、私の心は自由でいられる。
ずっとそう思っていたし、思っているけど、
いつでも自由に読みたい本を読める、というのは特権的なことでもあるね。

お金もないし、荷物になるし、読みたい気がしたすべての本をあきらめて、何も買わずに本屋を出る。いま読まなかったらたぶん、一生読まないかもしれない。

と思いながら本屋を出て、新幹線に乗るべく駅に向かう。
それでもう、どんな本を欲しいと思ったか、覚えていない。