ぼくはママをゆるさない  9

子どもへのいじめが、もういじめとしか言いようのないかたちでようやく発覚して、それを連絡帳に書いていたとき、「ママ、告げ口するの」と子どもが言った。してほしくないの?ってきいたら「いいえ」って言った。
それでいまに至るが、

そういえば、と気づいた。
人の陰口、悪口、告げ口はいけない、と私は7歳のときに母に言われて、かたくなにそれを守ってきたが、
(おかげで、本当にひどい目にあったし、本当に素晴らしい人生になったけれど)
たぶん同じことを子どもにも言った気がする。彼もそれを守ったのだ。
子どもは、どんな目にあっていても、相手のことを絶対悪くいわなかった。
そうしてこの事態だ。

子どもには、告げ口はしなさいと言った。すこしでもいやだなと思ったら、告げ口する。きみはしてもいい。そう先生にも言っておく。
32番あたりの告げ口は、人を陥れるためのものだけど、君のは自分を守るためのものだ。きみは告げ口しなきゃいけない。

32番あたりは、まだ何のかんのと声かけてくるらしい。子どもは無視してる。以前、それを32番に告げ口された子どもが、担任から、無視してはいけない、何か返事をしなさいと言われて、返事をしてさらにいじめられて、という展開になった。

返事しなくていい、無視していい、と子どもに言った。あんな汚いやつらを見たら目が汚れる。声をきいたら耳が汚れる。話したら口が汚れる。きっとそう感じていると思うし、それは正しいよ。

みんな仲良く、なんて幻想を信じちゃだめだ。これは担任にも言いたい。
いい人間とは仲良くする。悪い人間には近寄らない。だから悪い人間にならないようにする、というのが現実的なものごとの筋道だと思う。
その筋道がわからなくなってるんだもん、いじめが起きるのも、それを防げないのも、当然の気がする。

「ぼくはママが1番好き。2番目はパパ。いちばんきらいなのは6番、次が32番、次が4番、みっつあがって28番」と言った。
人の好き嫌いを、きらい、のほうを、この子ははじめて言った。それをせきとめていたのは、たぶん私が一番悪い。

今度のことは、親も教師も加害者だ。

あの子たちは、けだものみたいだろ。けだもの臭いよな。
と言うと、目をかがやかせてうなずく。
心が、けだものなんだ。まだ人間になってないんだ。けだもののことを畜生っていう。畜生はさ、強いものには媚びるんだ。先生の前ではいい子のふりしてるだろ。でも弱いものはいじめるんだ。
そんな畜生に近寄らない。連中が人間になるまで、近寄っちゃいけない。それであの子たちがいつか人間になるのかどうか、私はわからない。

世の中には、6番や32番みたいなのがいっぱいいるよ。
と言ったら、たちまち涙目になった。でもそれが本当だよ。
でもきみは今度のことで、6番や32番や4番がどんな心のにおいをさせているか、わかったよね。
おんなじ匂いのするやつらに気をつけろ。近づかない。からまれたら全力で逃げる。
いやなことがあったら逃げろって、ずっと前から言ってたはずだけど、もう意味がわかるよね。定期券だけもって、学校から帰ってこい。

逃げなかったら、人生をめちゃめちゃにされる。そのときに立ち直れるかどうかは、もう賭けみたいなもんだと思う。

時間が心の傷をいやすとか、解決するとか、そんなことはない。傷は癒えない。でも放っておくと腐る。人間は生ものだろう、腐ったなまものはどこへ行くか、ゴミ捨て場か、その前に死んでしまって火葬場だ。

ママはフィリピンで、ゴミの山をたくさん歩いたからわかるんだけど、
あのゴミの山が人の心なんだよ。
きみをいじめた連中は、自分の心のなかのゴミをきみに向かって捨てたんだ、だからきみはゴミ箱になった。あふれてゴミの山になった。
どうする?
がまんしてたら、どんどん捨てられてどんどん大きくなって、どんどん腐って、それで爆発するんだ。そう、ゴミは爆発するんだよ。爆発のエネルギーは電気になるかもしれないけど、人間は破滅する。
だからがまんしちゃいけない。

見なかったふりをしたり、何もなかったふりをしたり、忘れたつもりになってても、ゴミはなくなっていないし、見ないふりをしている間に、どんどん背中につもっていくし、気づいたらきみが、そのゴミでほかの人を傷つけるようになるかもしれない、きみがゴミに埋もれて死んじゃうかもしれない。

連中が、きみにあたえた心の傷は、きみが見ないでいる間に、知らない間に大きくなって腐って、きみを不幸のほうに、もっと不幸になるほうに、連れていこうとひきずりまわすよ。

だから、忘れるんじゃなくて、いやだなと思ったこと、つらかったこと、汚いものを投げつけられたなと思ったことは、もう一度手にとって考える。見つめる。心が痛くてもそうする。それでちゃんと考えて判断しなきゃいけないんだ。それができるようになったら、不幸のほうにひきずられないですむよ。

どこまでわかってくれるかわかんないけど、受け答え聞いてると、なんかとんちんかんだけど、それでもそんな話をした。

きみは絶対悪くない。あの子たちがけだものだったんだ。
あの子たちもいつか人間になるかもしれないけど、そうなるように関わっていくのは親や教師の責任で、きみの仕事じゃないからね。

きみは、逃げなさい。
逃走ルートを考えようよ。