ぼくはママをゆるさない  8

昨日話して、担任には何かが伝わった気がする。教頭と校長は理屈では理解していると思う。でも、校長は、女性だが、かなりとんちんかんな感じがする。私も母親だからわかります、というが、あんまりわかってもらった感じはしないけど、まあいいや。
学校は機能不全を起こしている感じがするぞ、というのが、パパの感想だ。

それはそれとして、担任は今朝一番に子どもにあやまってくれたらしい。それで「いいですよ」と子どもに言ってもらって、うれしかったと。

ねえ、先生。子どもにゆるしてもらっている、それも傷ついた子どもにゆるしてもらっている私たち大人っていうのは、いったいなんなんでしょうね。
もうじき学年も終わりますが、いつかもし機会があれば、そういうお話しましょうか。なさけない大人という点では、教師とか親とかの立場を超えて、私たちはおんなじところに立っている気がします。

療育に予約入れる。診察は5月。最近2ヶ月待ち3ヶ月待ちがあたりまえになっている。どんなことで診察を希望されるんでしょうと聞かれたので、学校でのいじめのことで、と言っておく。

それから私が留守している間に、担当のドクターから電話がかかってきたっていう。それ聞いてありがたくて胸がいっぱいになった。
パパがことの次第を言うと、
「それは大変心配です。心が傷ついてないはずはないので、絶対大丈夫だからと支えてあげてください。
彼は、人のことを悪く言わないしにくんだりしない子だから心配していました。勉強は好きだから、学校に行くことをいやがることはないと思いますが、だからかえって心配なんです。いやなことも知らず知らずがまんして傷ついていく。がまんさせてはいけないんです。5月の診察のときに、新学期の様子も見て、学校のほうには私から一筆書きます」
という内容だったらしい。

そのまま連絡帳に書く。校長、教頭、それから新しい担任に、伝えて下さいというのも念のため書く。
こんなに鈍くて教師やってていいのか、この人たちは。
と思いますが、不信からは何も生まれないので、信頼して、手紙も書く、話もする、ほかないもんね。全力でケアしてください。

療育のドクターのところに行くよ、と言ったら、「ぼくは前にも行きたいって言ったのに」と言われる。そうだった、そのとき、何か問題がありますか、と受け付けで聞かれて、問題と言えることはそのときなかったので(でも子どもの心のなかにはあったのだ)、診察も予想以上に混んでいるし、気後れして、予約入れそびれてそのままになってしまっていた。申し訳ないことだった。

胸の痛いことばかり。

「ねえママ」と子どもがやってくる。
「パリに行くとしたらどこへ行こうか。ぼくはエッフェル塔の下で、ママに花束をプレゼントしたい。それからカフェでお茶したい。」って言う。

ママをゆるすなよ。