境涯

たとえば、毎日ランニングをするように、何かいいことをしていると思いながら、いいことをしている、善人もいる。でも、本当におそろしいのは、いいことをしているなんて全然おもわずに、だれも見ていないところで、野菜をつくるのでも、お酒をつくるのでも、作業所に通うとかそういうことでも、誰にもほめられないところで、自分の仕事を手をぬかずにもくもくとしている人たちで、そういうことをしている人たちに出あうと、圧倒的に感動させられる。たとえば雪かきは、次の人が通るまでにすませなくちゃならんと、人に見られないように、雪かきする人。それで、そういう人は、悪人にもなれるんだ。誰も見ていないところで、って、まるでこそ泥みたいでしょ。善人なおもて往生す、いかにいわんや悪人をや、ってね。

というような話を、しばらく前に武田鉄矢が、悪役について話してるなかでしていたのが、印象的だったのでメモ。

そういえば昔、中島みゆきが、
君が笑ってくれるなら、ぼくは悪にでもなる♪ って歌ってたっけ。
と思い出した。

☆☆

運動というものは、最初、無視され、嘲笑され、非難され、抑圧され、それからようやく尊敬される、と、ガンジーが言ったらしいので、メモ。

そういえば、とてもささやかな、運動とも呼べないほどの運動なのに、たしかに私たちも、無視され、嘲笑され、非難され、…たりはした。

2007年に、パアララン・パンタオとレティ先生が、アジア人権賞という賞をもらったころから、がぜん風向きが変わってきて、尊敬されはじめた。レティ先生が中傷されるのは我慢ならなかったから、それが尊敬に変わったことは本当にうれしいことだった。

でも、思うんだけど。
ボランティアって、最近ときどき、いいことをしているように勘違いされて居心地悪いんだけど、勘違いされるとやりやすいから、訂正しないけど、ほんとうは物乞いか行商か、そんなとこだと思う。

去年かな、一昨年かな、マニラにいたときに、フィリピンナショナルバンクの前に、ぼろ布の塊が捨ててあって、掃除しないのかな、と思いながらなんとなく見ていたら、それがもそっと動いて、なかから、痩せたおじいさんの手が出て来て、びっくりしたが、ああお金がほしいなあ、とその手を見ながら、私は思った。その手は、私のなかからのびていて、お金がほしいって、ゆれている。

むかし、パアラランの、ゴミの山の学校の支援をはじめたばかりの頃、お金がなくて、どうしていいかわかんなかったとき、駅のあたりを歩いている人の数を、私は数えていた。ひとり、100円でいいからくれないかな。100人だったら1万円、1000人だったら10万円、1万人の人が100円ずつくれたら、なんとかしばらく学校をつづけられる。背広を着ているひとたちの、あのポケットにお金があるのかな、ポケットを叩いたらお金くれないかな。
マニラの物乞いの子どもたちの姿が、そのまま自分のなかにあるみたいで、道ゆく人のポケットを叩くことはできないので、なんか別の方法を考えなくちゃいけないとはわかってるんだけど、それでも200人、300人、400人って、私は道ゆく人の数を数えていた。
ああそうか、私の境涯は、あの物乞いの子どもたちと一緒なんだ、とそのときに思った。

「あんたがちゃんとしてないから、あんたに信用がないから、うさんくさいことと思われて、信じてもらえない」と親しかった人に苦言を呈されたこともあるけど、私は貧乏なバイト暮らしだったし、物乞いの子どもと変わらないし、それはまあ、しょうがなかった。

でもそんなふうなのに、私が、お金くださいって言ったら、パアラランのために、寄付してくれる人がいたのだ。ずっと続けてくれる人たちがいた。何の見返りもないのに。黙って。ずっと。今でもとても信じられないことと思う。

私の境涯はいまも、物乞いの子どもとかわらないと思う。ひとり100円、ふたり200円、ってもらえるはずもない小銭を数えていた18年ほど前のあのあたりに、いまも私はいると思う。嘲笑されても非難されてもいいから、お金がほしい。

ただせめて、きちんと、ありがとうございます、が言える人間になりたいと思っています。
たいへん、ありがとうございます。