避難勧告情報

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http://matome.naver.jp/odai/2130043480251952301?lastUpdated=1305955651434

占領下の日本で、広島長崎の原爆被害のことは、言論統制されていたわけだけれど、結局、今の政府も似たようなもの、ということか。
アメリカが残酷だったのではなくて、すべからく権力が残酷なのだろう。

内部被ばくして、細胞が傷ついても、修復する。うまく修復できて問題がない、かもしれないし、うまく修復できなくて、遺伝子に異常が起きたりする、かもしれない。
数年後ぐらいに、突然だるくなって働けなくなるかもしれないし、10年後ぐらいに、白血病その他の病気になって死んでいくかもしれない。
原因不明の、いろんな症状が起きてきて、生きることがとても難しくなるかもしれない。それは被ばくのせいかもしれないし、そうではないかもしれない。
あるいは、とくにかわったこともなく、50年後も元気で生きている、かもしれない。
50年たって癌になって、それは被ばくのせい、かもしれないし、そうではない、かもしれない。

でも、被ばくのせいで、ということは、つまり、誰のせいにもできないし、誰も責任とってくれないってことだ。

申し訳ありません、私たちが原爆を落としたせいで、ってアメリカは66年たっても言わない。

10年後、被ばくのために、人々はばたばた倒れていくかもしれないけれど、責任を追求しようって言ったって、今の政府はもうないわ。

原爆棄民、という言葉を知ったのは戦後40年くらいの広島でだったけど、戦後65年の夏にも、原爆棄民、という言葉はなくなっていなかった。その間、人々は棄民されつづけていたってことだ。
差別に苦しみ、医療費の工面に苦しみ、その保障を求めて、長くつらい裁判をする在外被爆者たち。

原発棄民、被ばく棄民、が出現するかもしれない。数年後、20年後、30年後。66年後?

原発事故は、東電や政府が収束させる、かもしれないし、できないかもしれない。
でも被ばく、は、つきつめれば、ひとりひとりの運命の物語として回収されてゆくしかない。
運命の物語である以上は、誰のせいにもできない。
各自の固有の運命として、自分の責任で対峙してゆくほかない。人生である以上、それはどうしてもそうなる。

戦争中のように、子どもたちを疎開させるということはできないのかな。そこで被ばくしながら暮らしつづけているというのは、遠くから思うだけでも、はらはらするようなことなんだけれど。

 ほのほのみ虚空にみてる阿鼻地獄ゆくへもなしといふもはかなし 源実朝