正義派

人間はそんなに簡単に変わらないなあと思うんだけど、子どももそうみたいだ。と思うとかなしい。
低学年のときにいじわるだった子どもは、高学年になってもいじわるである可能性が高い、と息子の同級生らを見ていて思う。
昨日、新しいクラスの近くの席の女子に不愉快なものまねをされたと、息子が帰ってきていうのだが、聞くと、3年生のときにも同じクラスで、いじめの言い訳に、ノートに悪口を書いたと嘘をいって息子にぬれぎぬを着せた数人のうちのひとりらしい。なるほど。要注意っと。

もうひとりは、はじめて同じクラスになった女子で、これが、息子に向かって「ばか」と一日に何回も言うのだそうだ。その他の男子にも言うそうなので、じゃあ男子何人かで、先生に相談に行くといいよ、と言っておいた。
今日は4回言われたそうである。昨日はすくなくとも2回、その前も2回以上、ということで、連絡ノートのすみっこに、回数を正の字で記録することにした。...

さて、クラスメイトの名前を、息子は家で言わない。低学年のころは出席番号を言ったが、今はそれも言わない。クラスの名簿もわたされないので、指さしもできないし。深刻な話だと思ったら、無理矢理にでも聞きだすが、そうでなければ、あだ名をつけてすます。「ばか」を言いまくっている女の子は、馬野鹿子、という名前にしました。馬やどの鹿子でもいいなあ。
あんまり「ばか、ばか」言うようなら「ばか子」って言い返したっていいよ、と私が言ったら、息子は言った。
「ぼくは正義派だから、そういうことは言いたくないよ」


正義派。
とおいとおい記憶の底から、ひとつのフレーズが浮かんできた。
「われらは正義派だ、いいのよ、いいの」

しばーらく考えて思い出した。たしか「韓国からの通信」70年代韓国の民主化運動を記した本に出てきたのだ。愛唱された詩のフレーズとして。
「われらは正義派だ、いいのよ、いいの」
いいのよ、いいの。