コスモスの丘

死ぬ夢を見た。
焼き場で、私が棺の中に横たわって、これから炉のなかに入れられるという場面を、空中から私が見ていた。周りに何人か人がいて、知っている人のようでも、そうではないようでもあった。私は年老いているようでもそうではないようでもあった。
私、死んだんだな、と思った。そんなにたいへんなことでもなかったな。
家族のことも友だちのことも、なんにも思い出さなかった。
炉に入れられる私を空中から見送っていたところで、目が覚めた。

見送ることもかなわない死が、相次いだ夏だったけど、夢のなかで、自分の死を自分で見送りながら、なんか落ち着いた気持ちだった。自分が見送るからいいのだと思った。

夢の中で死んで、こころよくこの世で目覚めた、秋の朝。 

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コスモスの丘。畑は荒地に戻りかかっている。鹿子との攻防戦に疲れて、半ば放棄しているからね。バジルだけ収穫。臭い草は鹿子食わない。バジルとニンニクのソースつくる。安い鶏肉も、なんだかこれで立派になるのだった。

息子の話をすれば、金曜が2年ぶりの体育祭。親は行かないので、話だけ聞く。特に何もない。クラスは最下位だったよ、みたいな。
次の日が模試で、マーク式はなんとかなるのに、記述はどうにもならない。数学が。
またこれ、三者面談が憂鬱なやつだなあと、思う。

ところで彼は夏に彼女さんできて、告られたのがうれしかったらしいけど、同じ学校同じ学年なのに、なかなか会う機会がないらしい。どちらも自分から声をかけるということが、ないので、なんにも進展のないカップルなんだけど。
夏休み明けに、帰省のおみやげに、彼女さんからチョコレート一個、学校の廊下でもらって、教室に入ったら、生物のクラスは6人しかいないんだけど、クラスみんなが、拍手して迎えてくれたというよくわからん話をしていたのが、9月。
やっとデートの約束したら台風で流れたとか。

コロナだったり受験生だったり、どこにも行けないので、長崎受験するとか、弘前受験するとか、遠くへ行きたい話ばかりしている。線路さえあれば、どこでも楽しく生きていけるつもりだ、彼は。田舎で暮らしたいらしい。出雲駅伝見ながら、山陰行きたい行きたいと言っていた。きれいな秋の景色だったよね。