きれいな秋の空、秋の風。
前略 秋さま 生まれかわってもふたたびさびしくなれますように (蝦名泰洋)
思い出して探した。出たばかりの両吟集『クアドラプル プレイ』のなかの歌だった。
いつのまに過ぎた夏だろう。親しい、慕わしい人の死が相次いで、過酷といえば過酷な夏。
蝦名さんの死は、メールの向こうに想像するしかない死だった。それがとても奇妙だった。人が死につつあるということを、必死で想像しなければならない。痛みがひどいことも、不安が強いことも、想像し続けなければならない。そうしないと、生も死も、友だちも、全部を見失ってしまいそうな、不思議な日々。
届けられるものが、言葉しかなかった。メールしかできないから。
言葉しかないことは過酷よ、なかなか。
いつ途絶えるかわからないなかで、遠からず、死にゆく人に向って、何を、書くのか。
だいたい、ふたりともへんなとこが似ていて、どちらも自分から電話をするのが苦手なので、電話というツールは使えない、写真が嫌い、会えばコミュ障全開で、会話というのが、なかなかへん。会話の代わりに両吟をやってたようなものだった。
『クアドラプル プレイ』両吟集の本ができたことはよかった。私、あとがきが書けたし、生きている間に、読んでもらえた。
ほんとうは、私は蝦名さんの歌集を出したいとおもった。でも蝦名さんが言った。
「両吟集が先だ」
「歌集と両吟集と、2冊は無理」と私は言った。
私たちは少し言い争って、互いに少し傷つけあったかな、と蝦名さんが言ったから、たぶん蝦名さんが傷ついたのだ。
「無理なら出さなくていい。でも両吟集が先」。蝦名さんがゆずらなかった。
死にゆく人に言われたら、そうするしかない。死神さまの言うとおり。
「売れるよ」と蝦名さんは言った。「詩人も歌人も、喜ぶ本だよ」
もちろん、いい本だけど。
蝦名さんの予言はあてにならない、と私は思った。
はずしちゃったまたはずしちゃったと神さまが目薬をさしそこねている雨 (泰洋)
みたいな歌書くひとだし。
いつかお金持ちになったら、って以前言っていて、どうやって、と聞いたら、競馬で、とか言ってたけど、あたんないと思うな、と私は思ったな。
いつかお金持ちになったら、豪華版の両吟集出して、小冊子を出した頃に買ってくれた人たちに送りたいと蝦名さんは言ってたんだけど、当時のメモを残してない。
ごめんなさい。ことのついでに、ひきつづき、応援してやってください。
競馬はあたらない。とうとうお金持ちにならなかった。
両吟歌集『クアドラプル プレイ』できた。
「売れるよ」と蝦名さんは言った。
あの人、外してばかりだったけど、もうほんとに、外してばかりだったけど、最後の予言ぐらい当たんないかな。当たってほしいな。
本なんかいいから、野樹はずっと一緒に遊んでいたかった。
☆
蝦名さんの昔の友人が教えてくれた。蝦名さんが青森にいたころ、地元のラジオで話したことがあったらしい。
「イーハトーブ喪失」を出した頃じゃないかしら。どうして歌集を出版するのか? の問いに、「お礼したいと思って、にせものを応援したんじゃないって」
と答えていたらしい。
いかにも蝦名さんらしい。
蝦名さんが「イーハトーブ喪失」の歌集を送ってくれたとき、はさんであったメモには、「やっとできた。あーあ、歌集なんて作るもんじゃない。あーやだ」
って書いてあった。本心だったんだろうなと思う。
むしろ、よく耐えて、本つくったなと思う。短歌さんのためでなかったら、やらない。
「短歌さん」と蝦名さんは言った。短歌さんを、自分の手垢で汚さないように、心がけて、そういうところが、胸が痛いほど潔癖だった。私心のなさを、好きだった。
だから、蝦名さんが自分の歌稿を整理するとなると、推敲の度に歌が消えていった。両吟集は、野樹の歌がくっついているから、生きのびている。野樹のがどんなに駄作でも、それを活かすのが、両吟相手の蝦名の心意気、だったはずなので。
それでもたまに、「書き直して」ってメールきた。
「ぼくは短歌を待っているのに、短歌がまだ届いていない」というメールもきた。
ついこないだのことのような気もする。はるかなはるかな世界の出来事だったような気もする。もう二度と来ない。