クアドラプル プレイ まで

信じられないほど美しい本ができました。
信じられないほど。

両吟歌集『クアドラプル プレイ』蝦名泰洋 野樹かずみ共著

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あとがきに書きましたが、私たちの両吟は1992年にはじまって、途中、互いの行方不明による18年間の中断の後、2013年に再開、2020年まで続きました。
一巻60首×28巻=1680首がその間、ふたりの間を行き来したことになります。

クアドラプル プレイ』には、2014年から2016年に巻いた未発表作4巻を中心に、計260首を収めました。

蝦名さんは7月26日に永眠されましたが、亡くなる数か月前に、珍しく長いメールを送ってきて、そこに書かれていたのが、この本を出したいということでした。タイトルも基本的な構成も蝦名さんが決めていた。夢物語だけど、と。

いつか、と思っていました。いつか私たちがお金持ちになったら。
いつか、よりも先に、死神がやってくるなんて思わなかった。

日頃、私たちは諦めがよかったのです。お金がなかったので。でも今は、すぐそこに死神がいたので、諦めることができなかった。たぶん蝦名さんも私も。

書肆侃侃房さんから出してもらえると決まったときは、夢かと思いました。これは幻なのか、と蝦名さんのメールも驚いていた。6月の終わり。
その頃、蝦名さんの病状は急激に悪化していて、短いメールのやりとりが精一杯になっていて、今日は生きているかしら、メールは届くかしらと毎日はらはらしていたのでしたが、本ができると伝えて喜びあった次の日、緩和ケア(が空かないので一般病棟)に、入院。何か鳥肌たつようなタイミングでした。
それから、信じられない速さで初稿があがって、蝦名さんが、ゲラのチェックをしてくれたのが、亡くなる2週間前。末期癌の痛みを耐えて。

私は忘れていたんだけど、古い手紙を探したら、1990年秋にもらった一番最初の手紙に、連歌の誘いが書いてありました。私たぶん何が書いてあるかわからなさすぎて、その部分を記憶できなかったのかもしれません。
それから、最初に両吟をはじめたころの90年代半ばくらいの手紙に何度か、両吟集を出したいと書いてあった。たぶん、本って、本って、どうすれば本というものができるのか、想像つかなすぎて、それで私、その内容を忘れたのかもしれません。本当にそんな手紙もらったこと、忘れていました。

30年といえば、一生の半分近い。蝦名さんは1956年5月生まれだから。
連歌、両吟は、蝦名さんが一生の半分近くを憧れた形式だったのかと思うと、震える。
私はというと、野樹が相手でいいのかとか思うほど、のんきに遊んでもらっているばかりで、それがすべてだったんだけれども、もう一緒に両吟できないのだということに思い至ると、どうしていいかわからない。

蝦名さんが生きている間に、まにあわなかったんだけど、こんなきれいな本になるなんて。見せてあげたかったな。


帯文を書いてくださった加藤治郎さんが、

「二人の個性が遊んでいます。なんと楽しい。
お互いの心が発光しています。見事な作品集です。」

というコメントをくれたのが、本当に嬉しかったのですが、
ナントタノシイ、七音ですよ。
ナントタノシイ、をわかちあえたら幸せです。

たぶん、蝦名さんは生きづらかったし、生きづらさを、はにかんでいたと思います。でも、どんな境遇のときも、遠く深いところに、ナントタノシイ、がひびいていたという気がします。野樹は、蝦名さんの、ナントタノシイ、が大好きでした。

クアドラプル プレイ』
多くの人に読んでもらいたいと思います。近日刊行、予約受付中です。

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蝦名さんの遺稿のこと、春頃に歌稿を整理してくださいました。
もうすぐ死ぬっていうときにこんな歌を書くのかという、戦慄の一連もありますけれども、遺稿の歌集と詩集と、出せればいいなと思っています。
「ナントタノシイ」たちを、私がひとりじめしてるのも、申し訳ないようなことなので。