かるた

正月1日。
朝、弟からの電話で起きる。とりあえず、屋根も仕事もあるのでえらそうである。
じゃあ、弟の居場所がわかったことぐらいは父に伝えておこうかと実家に電話するが、いない。
午後また電話するが、いない。親戚のところにでも行っただろうかと思うが、夜また電話しても、いない。
まさか倒れてないだろな、葬式代、私は使い込んでしまってるし、かんべんしてよ、とやや不安になって、近所の、一昨年死んだくーやんのところに電話する。奥さんが出て、近所で不幸があったのだと教えてくれる。それで、さっきまで一緒にその家にいた。
なんでも施設にいたお婆さんが亡くなって、死者帰宅、手伝いに行っていたらしい。葬儀場がいっぱいで、4日まで葬式が出せん、というようなことらしい。
まあようやく父をつかまえたので、「あけましておめでとうございます」を子どもに言わせる。
叔父のところにも電話する。兄にもよろしく伝えてもらう。
一日かけて家族の安否をたしかめた。たぶん、夏に帰省して以来かも。電話するの。親不孝もんである。



お正月なので、かるたでもしましょうか。
ということで、ひっぱりだした。百人一首
私が中学生のときに買ってもらったもので、もう変色してぼろぼろなんですが、それで遊ぶ。
子どもとふたりなので、まずは坊主めくり
これがなあ。
勝つと気分いいから、またやるといい、負けると悔しいから、またやるという。坊主出たり姫が出たりするたび、叫ぶわ転げ回るわ、
「ああ、ぼくのじんせい、もうおしまいなんだ」
って、10回ぐらいは、おしまいが来たよな。
(なんかさ、パパそっくりの絶望ぶりなんだけどさ)
あのなあ、あのさ、勝負ごとっていうのはさ、負けたときが大事なんだよ、負けたときに泣いたりすねたり絶望したりするのはさ、つまんないよ。それですごく格好悪いんだ。じんせいおしまいになったって大丈夫だから、さあ次やるぜ。

札を詠む百人一首もする。取り札のひらがなを読むのがたいへんで、途中からものすごく怒っていたが、最後まで投げ出さずにやったなあ。「ひ」というのは多いのか少ないのか、「ひと」で探せばいいのか、「ひとこそ」で探せばいいのか、ええっ「ひとこそ」は一枚だけじゃないのか、とか、はじめてやるにしては、目のつけどころがたしかである。

「世界の国旗かるた」というのもする。
「ぼくは、世界が平和になるようにいのって、世界の国旗かるたをするんだ」と前口上はなかなか立派でしたが、
「だから、ぼくが勝たないと、世界は平和にならないんだよ、ママとらないで」
っていうのは、それはさあ、独裁者の理論だと思うよ。

以上、お正月おわり。お年玉のことは、子どもも忘れているみたいなので、私も思い出さないことにする。