<言語の監獄で-ある在日朝鮮人の肖像> 徐京植著

たいへん興味深い記事を教えてもらったので。
転載します。
韓国で翻訳出版された徐京植さんの本の書評のようです。

「徐教授は去る20年余りの間、日本リベラル知識人たちは思想的にどこまでも崩れ落ちてきたと見る。それが日本の悲劇だ。」
「リベラルの多数はいつも両非難論を前面に出し傍観的で冷笑的な態度で一貫する。」




ハンギョレ新聞 4月3日 (ハンギョレ・サランバン)

<言語の監獄で-ある在日朝鮮人の肖像> 徐京植著・クォン・ヒョクテ訳/トルペゲ・2万ウォン

 "侵略と収奪の歴史を厳正に認識し自らの歴史を自己否定することは、日本人自らの道徳的更生と永久的な平和を確保するためにも必要だ。そうしなければ日本人は将来にわたって‘抗日闘争’に直面するほかはない。"

 徐京植(写真)東京経済大教授がこういう文を書いたのは1989年だった。ソ教授は‘4回目の好機’というタイトルをつけたこの文を20余年後に韓国で出版した自身の2冊目の評論集<言語の監獄で>に再収録した。その時の問題意識が今なお有効だと判断したためだろう。

 今年2月、本の序文を書きながら彼は今の日本を "荒廃するだけ荒廃した" 状態と診断しつつこのように話した。"右派の野卑な悪罵が響きわたりリベラル勢力は空虚な両非難論をつぶやき傍観している。結果的にこういう無惨な社会を若い世代に残すことになった。" そして "この荒涼たる現実を生きていかなければならない若い世代に対する責任感に重い心を奮い起こして" 書きましたと。

私たちはその実状の一端を去る30日に発表された日本中学校教科書検定結果を通じて垣間見ることができた。大地震津波原発事故という3重災難の悲劇の中でも日本右派の執拗な独島工作は止まず、多数の中間派リベラルたちは虚しい両非難論を口ずさみつつそれに加担したり沈黙した。大地震の悲劇が東アジア連帯のための禍転じて福となす契機となることを願った人々にとって、それは‘野卑な悪罵’と聞こえなかっただろうか。当然‘抗日闘争’は今後も続くだろう。

この悠久な抗日闘争を止められる決定的契機が3回あったと言った人は和田春樹教授だ。和田教授は1973年、金大中拉致事件が勃発し、「侵略と収奪の歴史を否定し朝鮮半島の人々と新しい関係を創造していく好機」が再び訪ねてきたと話した。
 そのような好機は日本敗戦(1945)時にも、韓-日国交正常化(1965)時にも訪れたが、日本人たちはこれを全て逃してしまったとし、彼は金大中拉致事件を第3の好機として捉えようと訴えた。だが、その機会も失敗に終わった。
 徐京植教授はそのことになぞらえ、1989年裕仁日本国王の死を‘今も続く植民地主義’にケリをつける‘4回目の契機’とみなそうと主張した。それもやはり失敗に終わった。
 そしてまた、逆説的にも今回の日本大災難が第5の契機となるところだったが、教科書検定結果を通じて再確認された日本右派の野卑さとリベラルの曖昧な空虚が5回目の契機まで逃してしまう公算が強まった。

 日本右派について私たちはある程度は知っていると言える。国粋的天皇主義者である彼らの行態は生のまま現れていて彼らの戦略もまた単純愚直だ。だが、その右派に同調したり傍観することによって結果的に彼らの側になってしまう日本リベラルらについてはよく知らない。彼らは一体誰なのか?
 <言語の監獄で>の核心メッセージはまさにこの質問に凝縮されていると言える。

 日本リベラルは右派の露骨な国家主義には反対する。彼らは非合理的で狂信的な右派とは区別される理性的な民主主義者を自任する。政党で言えば社民党民主党左派勢力、新聞なら中道的<朝日新聞>がそこに属し、いわゆる日本の良心的知識人の大多数がそこに含まれるだろう。

 ステレオタイプ化した日本右派に対する警戒心や批判意識で武装して日本に初めて行った人々は思いがけない状況と遭遇する可能性が高い。彼らが見た日本人たちの大多数は彼らが暖めていた右派(極右)イメージとは大きく異なる。彼らは概して親切で配慮に溢れ合理的で良心的でやわらかなイメージで近づく。そして右派に対する固定観念を中心に形成された韓国人たちの日本人観は一挙に武装解除されやすい。徐教授はそのようにして形成された韓国人の友好的な日本人観は概して不正確で誤解から始まったものである可能性が高いとし
 「残念なだけでなく危険でもある」と語る。

 徐教授は去る20年余りの間、日本リベラル知識人たちは思想的にどこまでも崩れ落ちてきたと見る。それが日本の悲劇だ。中間を自任するリベラルは右派の超党派国粋主義や攻撃的国家主義を拒否するが、彼らと同じ日本‘国民’として享有する既得権に執着しつつ、自己中心的‘国民主義’へと崩れ落ちていった。

 この国民主義はある局面では右派の国粋・国家主義と対立関係を形成するが、植民支配を通じた略奪と労働搾取を通じて蓄積された日本国民の潤沢な経済生活や文化生活、すなわち日本国民として享有する自分たちの既得権が外部の他者(または、内部の他者である在日外国人、すなわち‘非国民’)から脅威を受けていると感じる瞬間に右派との補完関係、共犯関係に切り替わる。その時、リベラルの多数はいつも両非難論を前面に出し傍観的で冷笑的な態度で一貫する。
 それが去る数十年間にわたり日本右派の台頭を決定的に助けてきた。外部の人々の目にはこのことがよく見えない。

 そのためにはっきり見える右派よりリベラルの方がはるかに危険なこともあると徐教授は語る。

 右派論理を批判するように見えながらも結局は日本国民的共同体の再建に執着する<敗戦後論>の加藤典洋を批判した‘戦後責任論’の首唱者、高橋哲哉は“外部の被害者を代弁し日本同胞を糾弾する倫理主義者”との烙印を捺され孤立させられる。 徐教授は個人的‘罪’はなくとも日本国民としての潤沢を楽しみながら‘今も続く植民地主義’を結果的に擁護する‘日本国民としての責任’は負わなければならないという高橋を、反対にナショナリズムの陥穽に捕われていると批判するフェミニスト上野千鶴子の考えこそが“ナショナリズム批判と戦後責任回避の転倒した結合”と鋭く批判する。

 韓-日間の問題は良心的な日本知識人たちより自己批判と責任意識が顕著に不足した韓国側ナショナリズムのせいだとし被害者である韓国が先に和解を求めなければならないという主張が、少し以前に日本で大きな人気を得た。徐教授にとってこういう‘インチキ和解’は‘和解という名の暴力’に過ぎない。それは問題の本質を曇らせ日本リベラルの思想的衰退をより一層助長することにより日本の右傾化を煽る罪悪でありうる。