こどもがえ

「ママ、なにしてるの」と学校から帰ってきた子ども。
こどもがえ。
「えっ」
ころもがえですけど、子ども、もう何年もからかわれているのに、慣れないらしい。涙目。
「そんなこと言っていいと思ってるの。ぼくがいなくなったら、ママはいったいどうなるの」
この反撃は新しい。
もちろん、さびしい。もちろん、泣きます。

まず宿題して、それから遊ぶんだよ、という約束なんだが、守らないよね。
空にした衣装ケースにもぐりこんでいたりする。
カメラ向けたら、みゃあ、と鳴く。


ようやく宿題にとりかかったが、あんまり字がきたないので、それ、パパが見たら、きっと書き直しさせられるよ、と注意はした。

「わかってます」って子どもは言うが、この子のわかってます、は、みゃあ、と鳴いているのとさして変わらん。

途中で遊ぶから、15分ですむ宿題に2時間もかかり、それだけ時間をかけても、惨憺たるありさまで、夜、パパにノート見られて、やっぱり書き直しさせられてる。パパが消しゴムで消す。子どもが書き直す。ふたりとも懲りない。

あのさ、こどもがえっていうのは、ほんとは、きみが少しかわることなんだよ。たとえば、ノートの文字をていねいに書く。
それさえできれば、パパにもほめられるし、ノートの採点も、BじゃなくてAになるし、世界が変わるよ。字をていねいに書くだけ、それだけ。
(それができりゃ苦労しねーよ、と言いながら思ったけど)
そしたら、それは、すごくうれしいこどもがえになるよ。

そいで子どもは
「わかってます」って返事するんだが。

みゃあ、なんだな。

算数のノート見たパパが、大笑いしている。これ、見てくれ、ってもってくる。

125×(4×2)=1258

って書いてある。で、赤い×がついてる。
たぶん、
125×8、と考えたまではよかったんだが、
そこで終わってしまったわけだ。1258。

みゃあ。みゃあ。みゃあ。

って子どもが笑う。

私の子どもである。