2011年8月 パアララン・パンタオ 8

☆ バングース

水曜の朝、仕事が休みらしいレイが、おっきな皿をもってやってくる。ホイルにくるまれているのはバングースだよっていう。
2匹も。大きな川魚の腹に野菜やレーズンをまぜて詰めものにしている料理。アテ・カズミにもってきたよっていう。
Img_1891_2 それはありがとう。ずっと昔にも、レイはぼくが料理つくるからって、ココナッツで何かを煮込んだ料理をつくってくれたことがあったけど、できあがったからもう夜中だった。あれはずいぶん手の込んだ料理で、おいしかったが、バングースもとても手が込んでいて、おいしい。
食事、あれこれ作ってくれるので、日本にいるときの倍くらいは食べていた。シニガンスープにアドボにパンシット。ジェイがお土産に、シニガンスープの素をたくさん買ってもたせてくれたが、問題は、日本では、私しかそれを食べないってことなんだ。
ほしい人いたら分けてあげます。お知らせください。

アインシュタイン

エラプ校に行くと、子どもたちは勉強中。
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Img_1868 狭いキッチンでは、ベイビー先生が、給食の後片付けをしていた。山とつまれた皿とコップ。給食のスパゲティの残りを出してくれたので食べる。
レティ先生は昨日おろしたお金をもってきてる。先生たちの給料と電気水道代ほか。
パヤタス校もだけど、エラプ校も、去年と先生たちの顔ぶれは何人か変わってる。ほかにもっと給料のいい仕事を見つけて転職していったのだ。そう、ここの先生の給料は、安すぎる。

ああ、思い出したときに書いておこう。アインシュタインを見た話。ここの子どもたちが、アインシュタインだ、と言いたいわけではなくて、ジープニーの話。
ジープニー、マニラの乗り合いジープは大好きな乗り物だが、最近は全然乗っていない。ジープニーは、車体の絵がひとつひとつ違って、みているだけでも楽しい。キリストやマリアの絵、ドラゴンや馬、最近はアニメのキャラクターも走ってる。エラプ校の近くに、ジープニーがたくさん停車しているところがあって、通り過ぎただけで、ゆっくり眺められなかったのが残念なんだけど。
バラスに行くときか、銀行に行くときか、どこで見たのだったか、アインシュタインが長い舌を出している絵のジープニーが、目の前を走り過ぎていったのは、強烈な印象だった。
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☆ワランペラ(金がない)

パヤタス校にもどると、太田(伸)くんが来てくれている。フィリピン大学の大学院生。
グレースがようやく仕上げてくれた経理のレポートを前に、レティ先生と3人で、あれこれ話す。

先生の給料、電気代、水代、備品代、クリスマスの費用、夏休みに先生たちが教育NGOから受けている講習の費用、奨学生の授業料、制服代、交通費、などなどなど。
まずはっきりわかることは、お金がないってことだ。だいたい、たったこれだけの予算で、300人を超える生徒の面倒を見ているということ自体が、ほとんど奇跡のようだが、それもこれも、先生たちが、申し訳ないような薄給で働いてくれるおかげだ。
世間の相場では、公立小学校の教師の初任給は15000ペソ。今年、先生の給料を月1000ペソあげたが、それでもここの先生の給料は公立小学校の初任給の半分~3分の1。ほかに仕事を見つけてやめていくのを止められない。先生たちの給料、2年ごとに月1000ペソずつあげたい、とレティ先生は言うが、本当はもっともっと、給料あげてあげないといけないんだよな、と思う。
レティ先生の給料はガソリン代とラリーさんたちへの労賃で消える。個人的な生活費や、グレースやクレアアンの学費は、息子たちがサポートしている。

給食は、去年は臨時のまとまった寄付があって、何とかなったが、今年は難しい。100人分の1年間となったら、ちょっとがんばれば出てくるというような金額ではない。
ここは日本のスポンサーの支援で運営されているけど、日本は大変な災害に見舞われたから、今年は給食は無理だよって、レティ先生は親たちに説明している。それが一番理解されやすいし、親たちも心配もし、納得もしてくれているが、可能ならすぐにも再開したい、給食。

以前、子どもたちが学校にいけない最大の理由は、出生証明書がないこと、手続きするのにお金がかかること、だったが、いまはその問題も解消している。出生証明の手続きは、7歳までなら、わずかな手数料ですむようになり(その後は年齢があがるにつれてペナルティとして費用がかかる)、メイ先生が親たちをサポートしてくれる。市議会議員が、無料で出生証明書を準備するという運動をしたこともあり、それでもらった子どもたちもいる。そうして、いまはここで学んだほとんどの子どもが小学校に通うことができるようになっている。
でも、みんな、というわけではない。
2年前に15歳でここで勉強していたジェラルドは、いまどうしているかわからない。
彼はお父さんが死んでいて、お父さんの名前も知らない。お母さんはミンダナオにいる。マニラに出てきて、パヤタスのおじさんの家でジャンクショップの仕事をしていた。出生証明を取得するには、おじさんがサインしなければならないが、おじさんはそれを拒んだのだった。パアラランにも来なくなった。
記憶が苦手で暗算ができないジェラルドが、引き算をするのに、15-7ならば、15本の短い線を引いて、7本に斜線を入れて、残りを数える、という方法で計算していたのを覚えている。それで3桁4桁の引き算も、根気よくやっていたのを、感心して見ていたのだったけど。

☆ また明日

夕方、子どもたちが帰っていく。何人かの生徒は書き取りが終わっていなくて残ってる。
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またね、また明日ね、って手を振って別れるけど、それでまた明日、会うような気がしてるんだけど、明日の朝は私はもういない。次に来るころは、きっときみたちがもういない。居残りのマクマヌエルくんも握手して帰っていく。
明日ね。もしかしたら永遠ほども遠くの、でもきっと、また明日ね。

☆ バロット

夜、レイとジュリアンがやってきて、レティ先生と4人でビール飲む。なんだか同窓会みたい。パロット、あひるの卵を買いに行ったけどなかったよ、ということで、前夜の1つ残ったバロットが、私の前に置かれる。これ食べると、ほかのものが食べられなくなるけど、1個ならちょうどいいか、と思って、食べ終えたところで、学校の前の道をパロット売りが通る。「バローット、バローット」って、バロットの入ったバケツをもって行商に歩く。ああ、このタイミングで来るか。それでまたバロット買って、バロット食べる。
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ホセ・リサールの小説に、バロット売りの声が響くマニラの夜の暗さについての記述があったような気がする。100年以上前の物語だから、夜はもっと暗くて、声はもっと重くせつなかったろう。

ジュリアンが喋ってる。タガログ語はわかんないので、私は音楽みたいに聞いてる。カイルの病院の話と、それからマニラの渋滞について、話しているらしかった。

レイとジュリアンが帰ったあと、入れ替わるように、レティ先生の2番目の息子のボーンが、アルとやってくる。
クヤ・アルは東京で働いているが、勤めているインターナショナルスクールも夏休みで帰省中。親族のお葬式が続いて、なかなか忙しかったらしい。健康不安もあって、病院にも行っていた。
「出たんだよ」って言う。検査したら、体内から放射性物質が検出されたっていう。「東京にいて大丈夫かな」って言う。
それは難しい問題だ。危ないっていう人もいるし、危なくないっていう人もいる。本当のところはわかんない。若くないから、たぶん少しは大丈夫。でももし、小さい子どもがいたら、私は心配するかもしれない。

アルは3月に、広島まで来てくれた。原発事故のあと、600人いた生徒は100人にまで減ってしまって学校が休校になったので、広島で働いているフィリピン人の友人を訪ねてきたのだった。遊びに来たって言っていたけど、仕事を変わろうかなという気持ちもあったみたい。
でも一緒暮らしている息子が、いまの外国の大使館の仕事を気に入っている。以前日本の企業で働いたときは朝早くから真夜中まで働いて残業代もなかった、いまの仕事を変わりたくない、というので、アルも東京にとどまることにした。

その後、生徒は400人までもどったが、200人は帰ってこない。たちまち経営はたいへんになり、スクールバスの数も減らして、人員も減らして、でもその分、残ったスタッフの仕事は増える。バスの運転手だけでなく、あれこれのコーディネーターみたいなこともしているアルは、ストレスがたまって、とてもしんどい。
15歳で船乗りになって、日本に来て、それからずっと日本で働いて、途中10年ほどはフィリピンに帰っていたけれど、10年前からまた日本に戻って働いているアルが、フィリピンに戻りたいかなって言う。奥さんもほかの息子たちもフィリピンにいるのだ。でもフィリピンでどうやって生きるか。58歳。仕事どうするか。いろいろと悩ましいふうだった。

憂鬱っていう言葉は、なんて言うんだろうなって思う。ゆううつ。ゆううつ。ああ日本の話はゆううつだ。
「日本はもう、あんまりしあわせな国じゃないよ」って言ったら、
「むかしは、日本もしあわせだったよ」ってアルが言った。

酔っぱらった頭のなかを、ジープニーの絵のアインシュタインが舌出して走りすぎていった。

ドラマの撮影をしているボーンの話は楽しかった。撮影の前に、撮影場所を探すのも仕事で、いろんな景勝地も見て回る。ある観光地では、外国人やお金持ちがたくさん来て、美しい滝の下をびしょぬれになってボートでくぐったりしてるんだけど、滝の上では、水牛が体を洗ったり、おしっこしたりしているんだよって。

☆帰国

夜中、ふと目覚めるとグレースは、レティ先生に言われて、まだ清書してなかった、奨学生たちの経費のメモを清書させられていた。いろいろとありがとう。
午前5時半、起きると、小学校が朝のクラスのクレアアンはもう制服を来て出かけるところ。6時にはジュリアンが来てくれて、空港まで送ってくれる。
道で、ジェーン先生とすれ違う。小学校の前は子どもがすずなり。トラックの荷台に20人も30人も乗っているのは、これから工事現場に向かう労働者たち。
渋滞だし、時間かかるし、「寝てていいよ」ってジュリアンが言う。
寝る。

本当にいろいろとありがとう。フライトは、台北経由。台北からは、台湾人の若い夫婦と6か月の男の赤ちゃんが隣にすわっていて、このヨーヨーくんという赤ちゃんが、足の太い元気な子で、こっちにやってくるので、抱っこしてたら、自分の子どもが赤ちゃんだったときのことを思い出して楽しかった。
空港について、なかなか荷物が出てこないのを飽きるほど待って外に出たら、去年は、まっすぐに駆けてきてくれた子どもの姿が、ない。椅子の後ろに隠れてんの。うちのマクマヌエルくんだ。

そいで、家に帰って、一週間分の洗濯ものを洗濯機に放り込んだっと。