「みらいらん」という詩の雑誌。
http://www.kozui.net/mln01.html
巖谷純介さんのインタビューが面白かった。読んでいてこころよくて、ワクワクしてくる感じ。巖谷さんには、私も本二冊(「天秤」「もうひとりのわたしがどこかとおくにいていまこの月をみているとおもう」)装丁していただいて、どちらも本当にすてきで、おかげで、私は自分の作品について、自己嫌悪に陥らずにすんでいるという、救世主のようなデザイナーさんなんですけど。
私、コラム書かせてもらったので、貼っときます。ぺったん。
短歌、と書かれているのにちょっとひるむ。いや、怠けものなので、そんなに短歌のことを考えて生きてない、という後ろめたさもあったりして。
でも、自由に書かせてもらえてうれしい。好きだったもの、親しかったもの、なつかしいものについて、こっそりささやくように、書きたいと思った。立原道造の詩と笹井宏之の短歌について、書きました。
☆☆
「いいえ、そうじゃないの。なにもかも言った通りなの……芸術は危険なものよ。若い頃はそれに気づかない。罠、オオカミの穴、なんて恐ろしい運命でしょう……いま私は詩やお芝居から子どもたちを守ろうとした親の気持ちがわかる……若いときはそれが見えず、見えても『無視する』…」(「アンナ・アフマートヴァ回想」)
ロシアの詩人、アフマートヴァが語ったらしい。
そうだなあ。私がこの世に詩集というものがあると知って読みはじめたのは、中学生の頃だけど、いま中学生の息子に、詩集読ませようとか、思わないかも。母の歌集は禁書である。いま彼は「レ・ミゼラブル」を読んでいるのか。あとは、鉄道ジャーナルでいいと思うよ。