ゴースト

新学期がはじまったと思ったら、一週間でまた休校になった。定期の払い戻しに行ってきた。休校中、息子の学校は宿題たくさん出してくれているが、たぶん宿題がなかったら、このひとは勉強しないんじゃないだろうか。
ごはんのつくりかたは教えたが、ほうっておくと、カップヌードルしか食べてない。食べたいものを自分でつくろうとか、宿題でなくても、この機会に、苦手なところを克服しようとか、何か主体性みたいなものはないものか。放っておくと、スマホみて半日終わる。小さな画面のなかは、電車が走っている。あとの半日は眠っている…。
情報科学……みたいな名前の部活は、息子には居心地がいいらしく、すなわち、ぼっちとひきこもりの巣窟らしく、なんだ、おれたちの生き方が正しいんじゃん、とラインで留飲下げていて、それはそれでよろしかろうというもんですけど。

気づけば桜も散ってしまった。一週間ほど前、スーパームーンというので夜中に表に出て、桜と月を見ていたら、向かいの森はがさがさ音がして、たぶん鹿だわ、と思っていると、キーンキーンと鳴いて、私の足音にひるむふうもない、最近は、昼間、見かけて目があっても逃げない、この鹿たちに勝てるとはとても思えない。いつもこの頃は、畑の草引きなんかしてたんだけど、もうしない。鹿たちがみんな食べちゃった。

f:id:kazumi_nogi:20200416001429j:plain

この春、私はぼつぼつ仕事。被爆体験の取材と原稿書き。
気づいたけど、被爆体験って、ひとつ聞くと、次の日は眠らないと回復しない。音源の確認と書き起こしがあると、それは2日かかって、その翌日はまた眠る。それから原稿書きがまた2日かかって、また1日眠って目覚めると、自分のなかのゴースト成分が増している気がする。被爆75年でお仕事増えた、増えると思っていたけど、もしかしたらコロナが全部さらっていってしまうかもしれない。

でもまあ、話を聞いてしまったら、それはどこかで、神様との契約になってしまっている気がするので、目の前の作業する。聞く方もしんどいが、話すほうもどれほどしんどいかと思うので、原稿に起こしながら、一緒にゴーストになりましょうねとひそかに思う。これはゴーストライター冥利に尽きる仕事なんですけれども、いずれ、あとわずかのこと。

河原で人を焼いていたという話、焼かれている死体が、動くらしい。それで本当はまだ生きてたんじゃないかとか、ざわめくんだけど、それは死体の筋肉の都合で、動くのだとか。

  人に語ることならねども混葬の火中にひらきゆきしてのひら

長崎で被爆した歌人・竹山広さんの短歌を思い出すけれども。語ることならねども、どころか、そもそもが、人間が体験していいことではないから。それを体験する、語る、聞く、黙って死ぬわけにもいかなかったのなら、もういっそゴーストになって永遠の旅をしよう。

不謹慎ながら、こないだ死んだ父も、焼却炉で焼かれているとき、動いたのかしらと想像したりした。