向かいの森の桜が

向かいの森の桜が咲きはじめた。
(ということは、市内の平和公園あたりはもう満開だろう)
新学期。
2年生になったら、ひとりで行く、はずだったが、
「ひとりは無理です、さみしくていやです」
と言うので、ひきつづき、公園まで送っていく。
担任もかわるし、クラスもかわる。
私は雑巾を縫った。

パアラランのニュースレター発送する。
今週中に届くと思います。届かなくて、欲しい方いらっしゃいましたら、声かけてください。

午後、畑に行く。草ひき草ひき。
お隣の荒れ地は、すっかり畑らしくなったが、私のほうは、草ぼうぼうの荒れ地のまま、草のなかにねぎとニンニクとイチゴとニラとブロッコリーがある。
水菜が菜の花になっている。カラスノエンドウに埋もれているイチゴに花が咲いている。

店で、すこしばかし夏野菜の苗なども買ったんだが、子ども、「お花もほしいの」と言う。
えええ、きみはもう全然畑に来ないし、働かないし水やりもしないのに、花咲いても見ないでしょう、植えるだけ無駄だよ、食べられもしないのに。
「いいえ、ぼく水やりするから、お花を植えたい。ぼく、これを植えたい、青くてきれいなのが咲くよ」
と、食べられない花の苗を抱えてくる。

そいで。
お花を植えるなどとロマンチックなことを言い出した奴は、
「虫がとんでる」
と言って逃げ帰り、
あとは私がひとりで仕事した。
イチゴの発掘作業だけでもおおごとなのに、食べられもせん花まで植えんならん。

3月の終わりには雪もふって、春なんか来るのかしらと思ったのに、あっというまに春。花が咲いて蝶々が飛んで虫がとんで。
帰ってふと鏡を見たら、おでこに、たんこぶのような虫さされ。

  農事書の「大地の章」に従いて春には遠き不安蒔かねば
  盲いしゆえ指もてたどる墓碑銘にわれの名もあるチェルノブィリ
               蝦名泰洋『イーハトーブ喪失』

20年前? の短歌を思い出すような、春。