霧の中の風景

2日つづけて、朝、雪が積もっていた。道も積もっていて、坂道を子どもは転んで泣きながら、学校に行った。一昨日は結局3回転んで、昨日も1回転んだ。でも帰ってきたら、ランドセル背負ったまま、雪だるまつくっているから、まあ元気である。
元気であるが、疲れるのは疲れるんだろうなあ。昨日はまた、宿題に3時間かかって(とちゅうで字がかけなくなって昼寝する)、すこし寝たら頭もすっきりして、とりくめるかと思ったらそうでもなくて、集中力がないわけではないが、宿題に集中するのはとても難しいらしく、
数字をひとつかいては、自動車を動かし、漢字をひとつ書いては、図鑑を読み出し、辞書をひらいて、何を思いついたか、漢字の編とつくりをばらばらにして、組み合わせたらどんな漢字ができるかというクイズなどつくりはじめ、そういうことは、宿題終わってからにしてほしいけど、また漢字ひとつ書いたら、今度は「備後落合」行きのバスの絵をかきはじめ、表示板に、「備後落合」の字がうまく書けないと言いだし、書いてと言うので書いてやったが、備後落合って、どこだ。
やっと、宿題終わったときには、もう、親も子もなんか疲れはててた。



子ども寝たあとの真夜中、ひきつづきアンゲロプロスの映画、
霧の中の風景」を見る。何年ぶりだろう。
はじめて観たのは20年以上前で、そのときはわからなかったのだ。
10年ぐらい前に観たときにはじめて、ああ、そうだのかあ、と気づいたことあって、
女の子は、旅の途中で出会ったオレステスという青年に恋をしたのだ。
オレステスはたぶんゲイなんだけれども、別れの前に、女の子が泣きじゃくって、オレステスが「はじめてのときは、みんなそうなんだ」ってなぐさめるんだけど、それは、はじめての旅のつらさをねぎらった言葉ではなくて、はじめての恋について言っている。
女の子があんなに泣いたのは、いないかもしれない父に向かって歩きつづける旅の、疲れや不安や、レイプや、いろんな経験でいっぱいいっぱいで泣いたんだけれど、でも女の子は、青年に恋をしたのだ。

たしかにそうなんだろうなあ、と思いながら見た。
そしてそのことに、私は全然気づかなかったのだ。女の子の恋に。
気づかなかったと気づいたときは、さすがに、自分の鈍さがショックだった。

思春期以降のコミュニケーションで、何が難しいって、そのことだったかもしれない。たぶん、自閉症スペクトラムのコミュニケーション障害のせいかもしれないんだけど。

わかんないもん。言ってくれないとわかんないし、言われてもわかんないけど、いやほんとに難しかった。あんまり難しくて、人の気持ちのわかんない奴は人間じゃないとか、おまえのせいで俺が苦しいとか、言われたってわかんないし、あんまりわかんなくて、こわかったので、恋がいいものだなんて思ったことないわ。なんかそれは、善意のふりしたエゴイスティックな感情、としか伝わってこなかったもん。

オレステスのやさしさは、あんなふうなやさしさは、私もすこしなつかしい。恋、とは気づかなかった。全然そう思わなかった。それはとてもいいものだったので、恋、なんていうあやしげな言葉に関係するものだとは思わなかったのだ。
で、恋はかなわないものだ。かなわないから、恋ができる、ともいえる。オレステスはゲイだし。そしてオレステスはいなくなる。

小さい弟が、かわいかった。「カモメさん、ぼくドイツにいくんだ」っていうんだ。

それでもって、女の子と弟は、歩きつづける。旅は、つづけるほかない。帰れないもん。向こうで誰が待っているわけでもなくても。

霧のなか、国境を越えた向こうに、ただ一本の木だけがある。

女の子の顔が、たぶん印象が、1歳年上だった、幼なじみに似ていて。
両親がいなくて祖母と叔父さん叔母さんと暮らしていて、いつもひとりで、友だちと遊んだりしない子だった。ほかの子どもたちとは全然違っていた。その子が、私とは遊んでくれるのが、すこし得意だったけど、高校のとき、行方がわからなくなった。ずっと前に引っ越していたし、学校をやめたあとのことを、誰も知らなかった。フランスの詩が好きでフランスに行きたいと言っていたと、ずっとあとになって聞いた。子どもの頃に、いちばん影響を受けた友だち。彼女のことなども思い出す。

ことのほか、なつかしい映画。1988年。ああ、23年前じゃないか。

http://www.youtube.com/watch?v=d_dRfWp6ohU&feature=related