喜びの源泉


 とても痛ましい、胸の塞がるような事件だった。
 事件が起きたとき、去年の奈良の事件を思い出した。どちらも少女が殺されて事件になった。
 殺されなければ、事件にもならなかったかもしれない。子どもへのわいせつ行為は、忌まわしいほどありふれている。よく自分は殺されずにすんだ、と振り返りたくもない記憶を思いだす人もいたと思う。深刻なトラウマ(精神的外傷)を生きなければならない人たちも。それでも生きていれば、苦しむことができるし、いつか乗り越えることもできる。
 でも殺された少女たちは、取り返しがつかない。

 容疑者の日系ペルー人が逮捕された。ペルーには彼が殺した少女と同年齢の子どもがいるという。人間がけものにも魔物にもなる、そのことに絶望感がこみあげてくる。

 93年の3月、鈍行列車を乗り継いで、東京へ向かっていた。夜、大垣発の列車で、ペルー人一家と向かいあわせの座席に乗りあわせた。奥さんが日系3世という若い夫婦と7歳の、ジェシカちゃんという名前の女の子。在日何年目と言ったろうか、夫婦の日本語はぎこちなかったけれど、ジェシカちゃんは達者だった。姫路から、友人のいる厚木へ、職を求めて移り住むのだと言っていた。
 厚木までの何時間かを、ジェシカちゃんとトランプをして遊んだ。彼女ははしゃいで、他の客たちもその彼女を楽しげに眺めていた。快活で気持ちのいい、天真爛漫な笑顔だった。外国で不安定な暮らしをしているこの家族にとって、7歳の娘が、喜びの源泉だということが、一緒にいてひしひしと伝わってきた。
 あの頃、私はほとんど死んでしまいたいような気持ちでいたのだった。地上のどこに足をおろせばいいのか、ひたすら途方にくれていた。そして列車のなかで、ジェシカちゃん一家に会ったのだ。あのとき、なんの垣根もなく受け入れたもらったことに、ジェシカちゃんの屈託ない笑顔に、私はほんとうに慰められ、励まされた。世界はまだ、こんなにすてきな笑顔を、私に見せてくれる。
 一家は厚木で降りた。ジェシカちゃんはホームで飛び跳ねて手を振って見送ってくれた。
 ジェシカちゃんにお礼を言います。あの夜のことは、一生忘れません。

 容疑者は、女の子の家族からも、そして自分自身からも、喜びの源泉を永遠に奪ってしまった。