旅について

旅は、ひとりでするもんだと思っていた。
学生のとき、韓国にひとり旅したときから、当然のようにそう思ってきた。集団で旅するのは(たとえ少人数でも)旅ではなく移動である。
ひとりなら、旅で出会う光景や人のほうを向くことができる。でも誰か一緒だと、一緒にいる人のほうを気にしなくちゃいけない。そのあたりがたぶんうまくできそうになくて、人と旅するのはこわかった。

東京は、結局10年住んだんだけれど、好きになれなくて残念だった(好きになってから出て行こうと思って、住みつづけてみたんだけど)。だって東京は、あっちをむいてもこっちをむいてもビルで、コンクリートで、壁で、家のなかも、家の外も、閉ざされていて、3か月か、せいぜい半年ぐらいが、限界だった。それくらいいると、もうどこかへ出ていかないと、苦しい。それはただ、電車の窓から山でも海でも線路の草を見るためだけにでも、出ていかないと。
それで旅する。
どこへ。
金がないので、年に一度、フィリピンに行く以外は、青春18切符か、あるいは片道の旅費だけもって、帰省していた。青春18切符で鈍行を乗り継ぐと、東京から四国までは24時間かかって、たどり着いたころには体じゅうが痛かった。

そんな旅の、大垣発の夜行列車のなかで、ジェシカに出会った。ひとりだったから、ジェシカの隣の空いている席に座った。ひとりじゃなかったら、ジェシカの隣には座れなかった。
日系ペルー人のジェシカの両親は仕事がなくて、知人を頼って、見知らぬ街へ行くところだった。私もまた、この世のどこに足をおろす場所があるのか、まったく途方にくれて、死んでしまいそうな気持ちに襲われつづけていたときだったけれど、あの夜、ジェシカは、どうしてあんなに笑っていただろう。トランプで遊んだんだけれど、それにしても。私たちはどうしてあんなに笑っていただろう。

駅に降りたジェシカが、ホームから手を振ってくれたとき、同じ車両にのっていたほかの人たちも、彼女に手を振っていた。あの夜、仕事をなくした親と夜行列車に乗り込んだ7歳の女の子は(もしかしたら、一番みじめな境遇だったかもしれないが)、あの車両にのりあわせた人たちを、しあわせにした。

──絶対に陽気でなければならぬ。

メキシコの画家のフリーダ・カーロが、ポサダの絵(ガイコツたちの絵を思い浮かべてくれたら)について、書いていたらしい。
「笑いより価値のあるものなんてないということ。そうして、悲劇とは、もっとも馬鹿げたものなのだということ」
長田弘「読むことは旅をすること」)

子どもができると、ひとり旅ができなくなった。
この間、フィリピンに行ったのはひとりで行ったけど、ひとりだったのは空港から空港までの間だけで、あとは、こちらの家族と、向こうの家族のような友人の送り迎えつき、となると、旅、というのとはなんかちがってきている。
国内の旅は、もうどこへ行くのも家族一緒だから、家のなかに家族といるか、車のなかにいるか、ホテルにいるかの違いぐらいで、風景ぐらいは眺めるにせよ、旅はもう旅ではなく、家族の記憶のバリエーションである。それはそれでいいんだが。

旅、が、こんなにむずかしいものになるとは思わなかった。
その日の宿がどうなるかもわからないまま、リュックしょって、見知らぬ国の見知らぬ夜を歩くなんていう自由は、思えば得難いものだったのだ。いつのまにか、自分でリュック背負うより、車で運んでもらうのが楽、という情けない私になってしまっているし。

若い人たち、旅をするなら今のうちだよ。

私はせめて、また海を見に行こう。