春の月


 ふるさとや石垣歯朶に春の月 (芝不器男)
 永き日のにはとり柵を越えにけり 

 春のふるさとを思うと、まず不器男のこの2つの句が浮かぶ。私の郷里の俳人であることもあるが、ほんとうにこのとおり。もしたった一言でふるさとを語れ、と言われたら「石垣歯朶に春の月」になると思う。そして「永き日のにはとり」の句のような、そのような時間のながれのなかに、たしかに私もいたのだった。

 春になると、ふだんは忘れている郷里の父を思い出す。何はともあれ父に感謝しなければならないのは、山菜摘みの楽しさを教えてくれたことだ。
 毎年お花見の頃になると、父は、小学生や中学生だった私を連れて、ワラビやゼンマイを摘みに山にのぼった。
 どの山のどのあたりで、どんな山菜が採れるかを、父はよく知っていた。一日父と山にいれば、自転車の前カゴも、荷台もいっぱいになるほど、とても抱えきれないほど、ワラビが採れた。ゼンマイ、土筆、カンゾウナ、なども採った。摘んできたワラビを、きれいに切り揃えて、近所の人たちにおすそ分けして歩くのも、嬉しかった。
 そうして春は、毎日毎日、ワラビの卵とじを食べていた。

 父と春の山にいるのは楽しかった。私の進路についてやそのほかのことで、父との諍いが絶えなかった時期でさえ、春の山にいるとき、父はほがらかで、私も気持ちよく一緒にいられた。
 たぶん、山では、父は自分が知っていることだけを教えてくれたからだと思う。そこでは、私は父を尊敬することが苦しくなかった。知らないことも知ったかぶりで、説教したりしなかったから。

 母が死んで、兄や弟も家を出ると、もう帰る家はないような気がしたが、故郷には父がいた。そうして、帰省するなら春、と私は思っていた。父と一緒に春の野山を歩くことならできる。でも、そのほかの季節の、そのほかの場所で、どんなふうに父と過ごせばいいかは、たぶん今もよくわからない。
 今年の春は帰省しない。