識字教室

 教室に入ると、まず最初にお茶を出してくれたもうひとりの先生のことを思い出した。横浜寿町の識字教室。12年前ほど前に何度か、その教室を訪れて、生徒のひとりになった。差別と貧困のなかで教育の機会を失ったという在日朝鮮人のおばさん、簡易宿泊所に寝泊りして働いているおじさん、ブラジルから出稼ぎにきたという人たちがいた。手渡されるプリントは、いろんな詩だったり、生徒たちが前の時間に書いた文章だったりした。そこでであった言葉に、私は圧倒された。拙くてたどたどしく書きつけられた言葉の、なんていえばいいのか、生命感に。心をたたえた言葉のすごさに。
 静かな教室だった。先生は必要なこと以外は何もいわなかったし、たぶん、生徒たちが、自分の内側にある言葉をみつけるためのしずけさだったかもしれない。そして、その日の仕事のことでも、故国のことでも、誰かが何かを語るときは、注意深く耳を傾けていて、人の話を聞く姿勢のやさしさ、苦労して生きている人に対する尊敬心が、温かかった。
 
 それは、フィリピンで出会った学生が、卒論で識字教育について書くので、一緒に行ってほしいと頼まれてつきあったのが最初だった。週に1度の教室に3度くらいは通ったろうか。横浜まで電車にのって通いつづける気力がなくて、それっきりになったけれど、学生はしばらく通いつづけたのではないだろうか。もらったプリントは大事にもっていたのだが、引越しのときにどこへやってしまったんだろう。捨てた記憶はないから、どこかにあると思うんだけれど。
 先生の名前も思い出せなくなっていたが、インターネットがありがたい、検索したら出てきた。大沢敏郎先生だ。きっといまも、教室を続けていると思う。
 なんであんなに疲れていたのかわからないほど、電車に乗るのもつらいほど疲れていた時期に、おまえは何ものかと問うこともなく、席をあけてくれて、黙ってお茶を出してくれたことに、私は感動したし、いまも感謝しています。
 
 そんなふうにお茶を出すことのできる人になりたいと、私は思ったのだが、とてもまだ、そうはなれずにいることに、また思い至ったり、する。