クリスマス・マウンテン

もう10年以上前かもしれない、ずいぶん前に、アジア各国のスラムを取材した韓国人女性の本を読んだことがあって(本のタイトルとか思いだせないんだが)、一番悲惨なスラムは、日本だ、と書いてあった。どんなスラムでも、女、子どもがいて、家族の暮らしがあり、地域コミュニティーがある。でも日本のスラムにはそれがない。家族をもつこともないし、隣近所で支えあって生きる、ということもない。
という内容だった。

幸せ、と子どもたちは言う。ゴミの山で、子どもたちにきくと、いつだって、9割ぐらいの子どもは幸せという。なぜか。家族がいるから。貧乏でも親たちが愛してくれるから。神さまが見ていてくださるから。なかには、ゴミの山があるから幸せ、という答えもあったりする。ゴミを拾って家族を助けることができるから。

この国で、寒空の下、家族も神様もゴミの山さえない貧困に、さらされている人たちがいるということ。
「ゴミの山があるからしあわせ」十数年前に聞いた子どもの言葉を、しきりに思い出す。「スモーキーマウンテンはクリスマスマウンテンだ。なんだってある」と笑った大人たち。

 人が増えすぎると、ゴミ拾いにも秩序が必要になって、ゴミ拾いの組合ができたり、IDカードとか持つようになるんだけれど、この国にも、目の前に、ゴミの山でも出現してほしい人たちが、たくさんいるかもしれないのだ。

 派遣労働者のおかげで企業はこれまで儲けてこれたに違いないのに、その儲け方はやっぱり「搾取」なんだろう。「アルバイトに人権なんかないよ」とむかし、さらりと言われた言葉を、思いだす。そのうち、みんなに人権がなくなると思う。餓死させたり凍死させたりしていたら。


「ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。
 ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。
 ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。
 ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した―しかし、それは遅すぎた。」

ミルトン・マイヤー『彼らは自由だと思っていた―元ナチ党員十人の思想と行動』(田中浩・金井和子訳、未來社、1983年)。


パアララン・パンタオのブログ「奨学生たち2005」UP
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