ジャングルジムの上

町内会の道路委員会の会合だと出かけたまま、帰ってこない。500円もっていったかどうか知らないが、一ぷく亭(近所におじさんたちが自前で用意した酒飲む小屋がいくつもあるのだ)あたりで飲んでいるのだろう、きっと。と思っていたらやっぱりそうだった。

奥さんはどんな人か、と訊かれたらしい。なんでも、花見のときに、私がひとりでジャングルジムの一番上にすわっていたのを、ずいぶんかわった人だと、思ったのらしい。
別にひとりじゃない。子どもと一緒だったよ。よそんちの子どもまで一緒だったよ。

でもまあ、ふつうの奥さんは、ジャングルジムのてっぺんにのぼったりはしないらしいのだ。

目の離せない子だから(いつ公園を飛び出していかないとも限らないし)子どもがよく見えるところにいたんでしょう。
というふうに答えてはくれたらしいが、子どもが療育に通っていることは、町内会長たちも知っているので、なるほど、とは思ったらしいが、
それでも、ふつうはジャングルジムの上にはのぼらん、と、さらにいろいろ訊くので、結局、奥さんは歌人なのだと、喋ったらしい。

するとようやく、ああ、もの書く人間なら変わってて当然だと、おさまったらしい。

ああもう。なんで喋るのよ。
でもみんなよろこんでいたよ。町内にブンカジンがおるって。畑もあいてるから、子どもに手がかからなくなったら使えばいいって。
会長が本買うってさ。キューピーの本1200円だと言っといた。

ぎゃあああああ。
どうせ奥さんの話するんならさ、パアラランの学校の話してくれればいいじゃないか。味方が欲しいのは野樹じゃなくて、パアラランなのに。

でもその話は、理解してもらうのに、飛躍がありすぎるよ。フィリピンのゴミの山なんて、みんな夢にも思わん話よ。まだ歌人のほうがイメージしやすいって。

でも、本もってゆくんなら、パアラランのニュースレターももってってくださいねっ。今度飲むときも、ニュースレターもってってくださいねっ。

というような昨夜の話。



しかしジャングルジムの上、本音を言えば、みんなと花見の席にすわっているというのが、なかなかむずかしいのだ。いやであるとかないとかではなくて、落ち着かん。

子どもが、幼稚園のクラスで、みんなと一緒にすわれずに、ひとりだけ離れたところにいた気持ちは、よーくわかるのだった。わかるわからないというより、そりゃそうだろう、という自明のことなのだ。

でも彼は8か月後にはみんなと一緒にすわれるようになったのだが、私はここにきて8年になるんだが、もしかしたら、毎年花見はジャングルジムの上にいる。
子どもが大きくなったらどうするんだろうなあ。