旅の仲間 春の旅5

旅の5日め。最後の日。
晴天つづきだったけど、この日は雨。
別府を出て、門司行きに乗ったのだから、そのまま行けばよいものを、途中で降りる。乗り換える。美しい名前の駅名を見た。呼野(よぶの)。香春(かわら)。覚えがある。4年前もこのあたり、通ったよな。

それからまた乗り換えて、彼が行きたかったのはここでした。この世の果てのようなセメント工場。船尾、というところ。
雨、はげしくなるなか、息子、セメント工場とがたんごとんを撮っている。灰色の景色の中に、一群の菜の花の、雨に濡れた黄色が沁みる。

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風と雨で寒くて、誰もいなくて、ホームにかろうじて屋根がある。
で、ここでようやく朝ごはん。いろんなところでいろんなものを食べて生きて、そのほとんどすべてを忘れるけれど、ここでコンビニのおにぎり食べたことは忘れないかもしれない。

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それから乗り継いで乗り継いで、折尾で駅弁買う。ホームに駅弁売りのおじさんがいて、その駅弁を買いたかったらしいのだ。おいしかった。

九州を出たころには雨あがる。
毎日、早朝から夜遅くまで、アミューズメントパークで遊び倒したような旅も終わる。
かかった費用の計算する。特急課金などの想定外の出費があったにもかかわらず、修学旅行の費用を超えない。予算内におさまった。良きかな。

学生のころからずっと、旅はひとりがよい、と私は思っていた。ひとりに限る、と。たとえば、日々の買い物に出てさえ、ああでもないこうでもないと、意見があわないわけだし、譲ってもよいが、譲れないこともあって、そのあたりのやりとりを、自分と他者との間で、無意識にもしているわけだけれど、旅に出るというのは、そういうことからまず解放されたいのであった。身軽でなければ旅ではない。

ところが、ひとりよりも身軽ということがあるのだなあと、この息子と旅をすると思うのだ。
家ではあれこれぶつかったりきしんだりもするのに、旅に出ると、それが全部消える。最初に気づいたのは、小6の夏に、青春18きっぷの最初の旅に出たときだ。え、この子はこんなに気持ちのよい、しっかりした子だったのかと、驚いた。
それから毎年のようにがたんごとんにゆられる旅をして、いつもとても楽しい。
そう言うと息子は、「あなたが寛容だから」と言ってくれるのだが。

たぶんこれからは、彼はもうひとりでゆくのだろうけど、互いに、旅の仲間としては、最高だったと思う。

それはもう感謝しかない。ありがとう。

ああ、日常が、旅の続きのようならいいのに。

日々はまたきしきしと軋みながら動いてゆく。新学期はじまって、きみ、とうとう受験生なんだけど。
次の旅の話をしている。それさ、あと1年経ってから考えなよ。

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