4月の声

4月ももう終わる。今年は季節がすすむのが早い気がする。花が咲いて散るのが2週間早い。畑の雑草のなかに、鹿に全滅させられたはずのチューリップがひとつだけ生き残って咲いてたけど、それもとうに散ったし、山はもう藤が咲いているし、庭は、つつじとさつきとこでまりと。山の緑が、すでに5月。

去年、軒に巣をつくった岩燕が、帰ってきたらしい。私まだ姿見てない。息子が見た。岩燕の巣は深いのでなかなか姿見えない。

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さしあたり今も聞こえているのは、鹿の声。


新学期早々、課題テストとか模試とか、進路志望書とか、各教科のクラス分けの細分化とか、なんか大変そうですわ、受験生。教師とか教室の空気とか、いろいろ変化に体が追いつかなくて、気分が悪い、と早退したりしてたが、半月過ぎて、まあまあ慣れてきたみたい。
息子の国語の模試解いてみる。これぐらいしか解けないが、これくらいなら私も解ける。解けよ、これくらい、と思うけど、見事に踏み外してるよなあ。踏み外し方が、個性といえば個性だけど、そんなことも言ってられないような時期になってきたよ。

受験生の親はいやだな。

机に向かって寝てたり、畳で寝てたり、風呂で寝てたりする子をいちいち起こすのも面倒なんだけど。

自分が受験生だった頃のことが、思い出されてくるのが、なんかしんどい。はるか昔なのに。あのころ、近所にも親戚にも、まわりに大学に行った人はいなくて、誰も大学なんて知らない、ひとりで、大学に行くと決めたけど、お金ないし、父とは口を開けば言い争いだし、夜は借金取り立ての電話鳴るしヤクザ来るし、英語できないし、問題集ひらいたら読めなくて涙ばかり出てくるし。共通一次、国公立は1校しか受けられないし、私立なんて受験自体が無理だし、落ちたらどうするかなんて、こわくて考えられないし。模擬試験代払うのに、模擬試験が何なのか、親わかんないし、説明しようもないし、家じゅうの小銭かきあつめて、払った。ときどき、荷物まとめて家出することを夢想したけど、どこへ行けばいいかもわかんない。
勉強しないと、ここからの出口がないと思いつめていた感じが、喉もとあたりにせりあがってきて、息苦しくて涙が出てきそうになる。
これが思いのほかの身体反応で、やれやれですよ。

あのころの、孤立無援の17歳が、いまも孤立無援のままで、そこにいる感じがする。

そんなに思いつめて行かなければならないようなところかよ、大学って、とか、点数があと100点少なかったら、海は渡らなかった、渡らなくてもよかったんじゃないか、とか、今にして思うけど。

きみたちがこれから、大学に行って、まず感じるのは失望だと思いますよ、と卒業前に担任が言ったのだった。ずいぶんな餞の言葉だ。
そして本当にその通りだったと、私は思うんだけれども、失望して、失望して、失望に失望を重ねて、失望しかしてないけど、それでも、海を渡って、大学に行って、わかったことは、
失望もまた、納得のひとつのかたちだということだわ。

失望することもできなかったとしたら、悔しかった。

それで、孤立無援の受験生だったあの17歳の子を、一番失望させているのは、いまの私自身かもしれないんだけど。

ごめんな。こんな大人にしかなれなかった。