崩れ堕つ 天地のまなか

8月6日。

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朝5時半、防災無線の警戒警報で起こされる。大雨警報が前日からずっと出ている。 避難勧告の地域名が無線で流れるのを聞いている。
ここらは避難勧告出そうな雨でもない。 でも警報なので、子どもはほんとうは登校日だけど、休みになる。

河津さんは、式典に参加するので早々と出かける。

防災無線がしゃべりつづけるのを聞きながら、式典をテレビで見る。
式典をテレビで見るの、何十年ぶりかしらと思うが、もしかしたらはじめてかもしれない。現場で見たことは一度もない。
学生の頃、8月6日って、街なかでのアルバイトが、飲食店でもホテル掃除でも、吐きそうなほど忙しかった、という記憶である。
平和公園内が職場の友人たちは今日は忙しいだろうなあ、と思う。

そういえば雨の式典って知らない、と思ったら、43年ぶりだそうで、

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71年以来。
71年は、日本の首相がはじめて式典に参加した年らしい。 ということは首相はそれまで来ていなかったのだ。
そうか、広島の主張と、国家の主張とはそもそも別のものなのだ。
もしかしたら、アメリカ大統領が式典に来るということと、日本の首相が式典に来るということと、あまり違いはないかもしれないのだ。大統領まだ来てないけど。

首相の式辞の内容が去年と同じだ、という指摘を見かけたんだけど。
ちがうところは、去年は、「蝉しぐれが」というようなフレーズがあったけど、今年は雨なので、蝉しぐれという言葉がない。なんか、もう憤りを通り越して笑ってしまった。

市長は、黒い雨の降雨地域の見直しを国に求めると言っていたかな。それくらいは言ってください。
私の住んいるあたりも黒い雨は降ったらしい。地元のおじいさんたちは、わしらも黒い雨浴びたんだと、毎年、地道に、役所に陳情に行っているらしい。

小学生の、子どもの宣言がいいですね。違う考えをもった人たちと一緒に平和をつくっていこう、というような文があったと思うんですけど、
泣きそうになった。

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大人は、それぞれに自己中心的すぎるからね、いろいろと難しくなるのですよ。無駄に傷つけあう。

午後、中央図書館で河津さんと待ち合わせ。資料室であれこれ読む。
それから街歩き。
原民喜の生家あたり、次兄の家の被爆柳、縮景園の前を通って、お墓まで。 お墓にも、ひっそりと刻まれていた。「一輪の花の幻」の碑銘。
広島で生まれたわけではなく身内もいないので、お墓に行くということもめったにないのでしたが、ひとつひとつ見ていくと、どの墓石にも、といいたいほどたくさんの墓石に、昭和二十年八月六日、と刻まれている。
そうだな、こんなに焼き殺されたんだなと、 生々しかった。

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雨もやんでいて、でも暑くもないので、歩きやすかった。
夕方、平和公園内の国立祈念館へ行って、あれこれの資料見せてもらう。

灯篭流しも、誰か来たときしか、ゆかないが、
川縁にすわって、まだ暗くならないうちから、暗くなるまで、眺めた。
子どもたちの絵の手作りのが、いろいろ流れてくるのが楽しかった。

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