牛の話 魚の話

牛の話
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魚の話
http://takedanet.com/2011/04/53_3dac.html

まったく牧歌的ではない話だ。

ニュースで、原発の映像が映ると、吐きそうな気分になる。
しかし何度考えても、あってはいけない事故だから、そもそも想定しないのだ、という理屈は、すごい。

遠くドイツでは、政府が脱原発へと舵をきったらしい。
当然とおもう。
思えばいままでだって、気づいたらさいご体の底からこみあげてくる恐怖を、ねじふせねじふせ、いっそ無関心になりながら、この国に原発があるという事実を耐えて生きてきたわけで、もうそういうことは、やめたい。

でもこの国が、これからすこしはましな決断ができるのか、私は懐疑的だ。
ヒロシマナガサキの経験は、ニッポンの経験にはなってないだろう。苦しみをわかちあってもらってはいないだろう。
だから65年後もこのありさまで。
いまさら、ニッポンはひとつ、だなんて。
嘘くさくて。

手に負えなくなると思考を放棄する。
そういうことは、とても身に覚えのあることだったりする。
わからない世界に生かされると、そうなる。
考えることを、自分以外のどこかに、誰かに、あずけてしまう。でもほんとうのところ、自分以外の誰も、かわりに生きてもくれなければ、不幸の責任をとってくれたりもしない。


想定外のことしか起こらない、のが人生だとは思うけれども、
起こってしまった以上は、あらゆることをずたずたに切り裂いていくようなこの想定外の事故についても、直視していくほかはないのだと思う。
まったく牧歌的でない、牛の話も、魚の話も。