やさしいともだちがいてくれて

ああそうだ、対話をしたいのだ、と思った。
批評がほしくて、もの書いているのではなくて、
対話したいから、(声になったりならなかったりする、どこかとおくの、しずかでふかい対話を)、だから、もの書くのだわ。読むのだわ。
言葉はとおい対話の場所から寄せてくるさざなみのようなもので、
さざなみのひとつが、批評のようなものであるかもしれないけれど、
人がかわるのは、批評によってではなくて、
対話によって、かわるのだわ。

お手紙もらったりメールもらったりして、
自分はなんに感動しているんだろうと思って、
ああそうだ、対話してもらったことに感動してるんだ、
と思った。

ありがとうございます。
幸福な歌集になりました。



やさしいともだちがいてくれて、
利他心とか品位とかそういうことのごくあたりまえな、はにかんだともだちが、気がつけば何人も何人もいてくれて、国境の向こうにもこちらにもいてくれて、
私はいつのまにこんなにしあわせになっただろうなあ、と思う。

寒いということと、ひもじいということとが、一度にくると、かなりみじめだなと、思ったことがあるけど、道に落ちてる煙草の吸い殻ひろって吸って、飢えをまぎらわしたりしてたこと思い出したら、なんか笑ってしまうけど、家賃が払えなくても、追い出さないでくれた大家のおばさん、ありがとう。
あれはまだ学生のときかな、十代ぐらいの女の子たちに恐喝されたとき、財布のなかに1円玉1個しかはいってないから、鎖鳴らして脅されてもおびえようもなくて、ああこの子たちもおなかすいてるんだろうなあと思って、財布の中身を見た女の子たちに、お姉さんもたいへんじゃね、といたわってもらって、手を振って別れた雨の夜とか、思い出すけど、
真夜中に川べりの寒い道を歩いたなあとか、真冬に電気が切れて暖房もなくて、さむくてさむくて眠れなくて、朝まで涙がとまらなかったこととか、思い出すけど、
過去は変えられないとおもっていたけど、もしかしたら、過去は変えられるかもな、

やさしいともだちがいてくれて、
利他心とか品位とかそういうことのごくあたりまえな、はにかんだともだちがいてくれて、いてくれるというだけで、あのころの自分の景色が変わってゆく。
もしかしたらずいぶん、ささくれだって、へらへら笑いながらも、不信でこわれかかっていたような、あのころの自分が、なだめられていく。

一緒に歩いてもらっていた気がする。

いつも、誰かに一緒に歩いてもらっていた気がする。
気が遠くなりそうなほど、真夜中に、路上で、ひとりだったり、してたけど。

冬に雨なんか降られたら、靴に穴あいているから、冷たくて痛くて痛くて、あれは泣ける。靴を買うのは、だから冬の雨の日ときまっていた。そのかわり、その後数日、靴のぶんだけ食事抜き、とかさ。

やさしいともだちがいてくれて、
一緒にごはん食べてくれていた気がする。水でふやかして分量ふやして、食べるの。ふやふやの。

スーパーの裏のゴミ箱で拾った野菜くずのスープを、食べてくれたともだちはいたなあ。3日食べてないとか言って、全部たべたから、私はひもじいまま寝たんだった。

やさしいともだちがいてくれて、
いまだれかのために、用意してくれる布団や服や食事や文房具やお金が、あのころの私に届いてる気がする。

やさしいともだちがいてくれて、
過去も変わってゆく気がする。
現在も、未来も。

やさしいともだちがいてくれて。