風土が消える

算数ができない。子どもがもってかえったプリント、こんな簡単な足し算引き算、どうしてこんなにぽこぽこ間違うか。って私も、米4合とぐつもりが、ライサーから5合出しているし。ときどきこういう間違いするのだ。300よりも150がたくさんにみえる。1よりも3よりも5が大きいから。

マイクロシーベルトがミリシーベルトにかわると、脳が停止する。0が少なくなったら少なくなった気がするんだよね。で、計算できない。



半径20キロ、あるいは30キロ、あるいは50キロ、100キロというのは、どれくらいだろうと思って、地図を見てみる。わかりやすく考えようと思って、自分の故郷の町に、事故を起こした原発があると想定して。

宇和島から半径30キロ。んー、南予地方がほぼそのなかにおさまる。ああこれは、ひとつの風土が消えるのだ。みかんは全滅。漁業も養殖も全滅。四万十川上流域も汚染。あんなに穏やかな美しい土地が。人の住めない土地になる。この先何十年もか、もっとか。
自分のふるさとで考えると、風土が消える、というのが、耐え難いほどなまなましい。高知とは違う、松山あたりとも違う、南予の風土。

津波で消えたのは沿岸何キロか。宇和島湾から、1キロ2キロ…。友だちがいた海沿いの集落はなくなる。どこかの突堤で日がな釣りしている叔父もいなくなる。川沿いの高校もなくなるかしら。山があるから、私が住んでいたあたりは波にはのまれないかもしれないけど、あのボロ家が地震に耐えられるわけがない。裏山は、崩れてくるか。

避難する。避難するとする。松山あたり、あるいはもっと遠くへ。方言を共通語と思ってる年寄りたちが、あの土地を離れて、どこでどうやって生きていけるのか、にわかに想像つかない。たとえばうちの父ちゃん、どうするか。あの田舎にいるから、なんとかすこしは人間らしく見えるのだが。あの人を都会にもっていくのは無理だ。
ああ、こう考えると、ほんとうに悲痛な被災だ。

故郷を離れられない年寄りたちが、離れたくないといえば30キロ線上に置いておかざるを得ないとしても、だ。若い人たち、子どもたちは、もうどこへでも逃げたほうがいいんじゃないだろうか。
どうせふるさとには帰れないし、そのあたりにとどまっても、被ばくをおそれながら(毎日毎日、ただちに人体に影響はありませんって、呪文のようにきかされたって、それで安心しろって無理と思うし)、雨と風を気にしながら、毎日放射線の値を見ながら、計算しながら、もしかして計算間違いしながら、日々に、恐怖を細胞に刻みながら、そんな非日常を日常にして、生きていくのは、途方もなくしんどくないだろうか。

この事態がすぐにおさまるのなら、ともかく。



かけ算のできない東大教授、って記事があった。
http://takedanet.com/

私も算数できないので、あれです、水道水から基準値超えたヨウ素って言われたら、それだけでこわい。数値が安全とか安全でないとかいわれたって、数字わかんないし。

日刊ベリタの「どこまで放射線レベルが上がったら行動を起こすべきか」の記事にもとづいて、数字を見てくれた人がいて。

「この指針に従って、15日以来の文科省の定点計測データをみると、福島第一から北西20~40kmあたりにいる妊婦さんは安全を確保するためには緊急脱出か脱出の準備を始めたほうがいい、ということになります。文科省データでは15日に北西20km地点で300μSv/h、北西30km地点では16日以来ずっと100μSv/h以上を計測してますから。

19日以来報道されている高濃度汚染の牛乳は、この文科省データでもっとも高い汚染を示しているポイント31~33(40~170μSv/h)の近隣で飼われている乳牛だろうとぼくは思います。30km圏外は屋内退避も指示されていないので、この乳牛たちと同じように、呼吸吸入や放射性物質の付着によると思われる妊婦や幼児への内部被ばく、母乳を通した乳児への内部被ばくなどをぼくは心配していますが、定量的にその不安を払拭する説明なり広報をまだ目にしていません。放置してていいんでしょうか?」

いいんでしょうか?